愛に生きる。

嫉妬②

こんばんは。

心理カウンセラーのみらいです。

 

最近、なんとなくまた「嫉妬」について考える機会が増えていました。

今まで「嫉妬」はするのもされるのもすごく嫌で、自分の中で見たくもないし相手の中にも感じたくないと思い続けていた感情でした。

 

今日はそんな「嫉妬」について、以前よりもさらにもう一歩踏み込んで気付いたことがあったので、お話していこうと思います。(少し重なる部分もあります)

 

みなさんにとって「嫉妬」とは、どのような感情でしょうか。

 

わたしにとって「嫉妬」とは、心の底から大嫌いで感じたくもない、ドス黒い感情でした。

自分の中の「足りないもの」を嫌というほど自覚させられ、そんな自分がみじめになり、自分の価値がないような気持ちになり、そんな自分が大嫌いになっていました。

そして、好きだった人までも嫌いだと思ってしまうような感情で、相手の良いところも認められず、相手のアラにばかり自然と目がいくようになり、相手に対してイライラすることもありました。

そして、そんな自分のことを客観的に見ては大嫌いになってしまうような感情でもあり、「嫉妬」を感じている時の自分の心は「苦しさ」と「痛み」で溢れかえっていて、そこに何の希望も見えないような、ただただ負の感情の中に埋もれていくような感情でした。

 

「嫉妬が存在する意味ってあるのかな。」

 

自分にとってはネガティブな要素しかないものだったからこそ、嫉妬が存在する意義さえ見出せない日々でした。無くせるのであれば無くなってほしいと、心の底から思っていました。

 

今でもその気持ちがなくなっているわけではありませんが、

お弟子講座で「嫉妬」について扱うようになってから、今までと少し違う視点からみるようになり、「嫉妬」についての見え方が少しずつ変わってきている自分を感じるようにもなりました。

 

 

「嫉妬」がわたしたちに教えてくれることはなんでしょうか。

 

 

「嫉妬」とは、

・相手の魅力、価値、才能を見つけることができる「才能」であり、

・自分の中で抑圧・禁止していた、本当はそうなりたかった姿を教えてくれる「指針」であり、

そしてそれを超えた先に、

・相手に見ていた魅力、価値、才能が実は自分の中にもあったんだと知る「きっかけ」なのなのかもしれないなと思いました。

 

そして、その感情を自分が認め受け入れることで、

・相手との関係をよりよくするような「鍵」であるのかも知れないなと思います。

 

嫉妬をしている人は、相手の中にある輝いている部分、キラキラしている部分、幸せそうな部分、愛されている部分を見ています。

それは言うなれば相手の「価値、魅力、才能」であり、自然とそこを見つけることができています。

それ自体も「才能」だと思いますし、それはきっと、その人の中で「とても大切」だと思っているものだからこそ、その視点で相手を見ることができるんだと思います。

相手に見ていることの中に、その人が本当に欲しいと思っているもの、本当に大切にしているものがはっきりと見えてくるからこそ、「ああやっぱり自分はこれが欲しかったんだ」「認めたくなかったけどやっぱりこれを求めていたんだ」と自分の”ニーズ”に気がつくきっかけになるものだと思います。

 

 

そして次に、

嫉妬は「本当はそうでありたかったけれど、禁止・抑圧していた本来の姿」を教えてくれます。

 

このケースでは本人が「嫉妬」していることに気が付かない場合が多いのではないかと思います。

むしろ、「あいつむかつく」や「なんかイライラする」などと怒りがわいてきたり、相手が自分にとってのタブーを踏んでいるような感覚にもなるかもしれません。

 

「本当はもっと自由でいたいのに」

「本当はもっとゆるく働きたいのに」

「本当はもっとみんなの前で自分を表現したいのに」

「本当はもっとみんなと仲良くなりたいのに」

「本当はもっと甘えたい、助けてほしいのに」

 

そんな思いを持ちながらも

 

「ちゃんとしないとダメ」

「一生懸命働かないとダメ」

「目立ってはダメ、自分をだしてはダメ」

「周りを信頼してはダメ、どうせ誰も理解してくれない」

「甘えてはだめ、自分でやらないとダメ」

 

そんな自分の決めたルールで(それも自分が生きるのに必要だから持ったルールなので、悪いものではないです)本当の自分を制限しているとき、

それを自由にのびのびと一見何も考えずに表現できている相手をみると、「どうして・・・」という怒りになってでてきてしまうのだと思います。

きっとその奥深くには、どこか「いいなあ」「羨ましいな」と思っている自分がいるんだと思います。

 

なので、嫉妬する相手は「自分が抑えていることで出せていない本来の姿」を示してくれているのであり、裏を返せばその抑えているもの (自分で築いたルール) を取り除いてあげることで、その羨ましいと思っていた人のようになれるのだと思います。

 

"なれる" というよりも、そもそもその「羨ましいと思っていた」自分は既にいて、それをブロックしていたものを外しただけで、 "本来の自分の姿に戻っただけ" なのかも知れません。

 

そして、おそらくこれが「嫉妬する相手がもつ価値、魅力、才能は、既に自分が持っているもの」という言葉で表されるものの一部なのかなと思いました。

 

そして、

お弟子になってから本当によく感じることなのですが、他人のことはよく見えるのに、自分のことについては本当にわからないんだなと感じることが本当によくあります。

 

他人から見て、全てを持っていて幸せそうで何も悩みのなさそうな人でも、人に言えない過去だったり、押しつぶされそうなくらいの不安、無価値観、孤独感、罪悪感と闘いながら過ごしている人もいます。

 

だからきっと、嫉妬している側が感じるその人の「魅力、価値、才能」を、当の本人は気付いていない(or 受け取れていない)ことが割と多いんじゃないかと思います。

もしかしたら逆に、相手のほうが自分に「羨ましいな」と嫉妬していることだって、あるのかもしれません。

 

そんなとき、この「嫉妬」という感情は、自分が受け入れて表出していくことで、自分も周りも幸せで明るいエネルギーに変えてく力があるんじゃないかと思いました。

 

わたしの周りには嫉妬と上手に向き合っている人たちがいます。その人たちは、嫉妬を嫌なものとして表出するのではなく、自分がまず認めた上で、それを上手に、そして素直に表現しています。

すると、聞いている側もなんだか嫌な気分にはならず、むしろ嬉しい感じまでして、その人の「嫉妬」を受け入れて前向きな関係性を作っていける場面を見たことがあります。

 

そうなるにはまず、自分の気持ちを受け入れることから始まるのかもしれませんが、こうやって自分にとって大嫌いで辛さしかなかった「嫉妬」が、自分だけでなく相手も受け入れてくれるような、そんな温かなものにもなるんだなあと、すごく新鮮な気持ちになりました。

 

そんなふうに自分にとっては「嫉妬=不幸で、なんの希望もない、ただ辛いだけの感情」だったのが、そういった方々の表現を見て、「より明るくてあたたかい」側面をもつものなのかもしれないなと思いはじめるようになりました。

 

そして最後に、ここからはわたしだけの感性かもしれませんが、共感される方もいるかもしれないので書こうと思います。

 

自分の欲しいものが手に入らないとき、わたしは常に自分の「不足」に目がいっていました。

 

「わたしに足りないところがあるから、手に入らないんだ。」

 

この考え方は、ビジネスを推し進めたり上を目指していくためにはとても大切な考え方だと思いますし、そのおかげで手に入れられたものもありました。

でも、最近になって、この考え方が辛くなってきている自分がいました。

 

何か欲しいものが手に入らないと「自分にはなにか足りないからだ」と自分の「不足」に目を向けることが小さい頃から習慣としてあったので、常に「手に入れている自分」でいないと「自分は欠けている、だめなんだ」という感覚につながるようになり、それゆえに「手に入らない自分」を許せなくなっていきましたし、気が付いたら普段から「自分のないところ探し」をするようになっていました。

 

そんな考え方はずっとしんどかったし、途中でこのままではいけないと感じたこともありました。

でも、ずっと手放すことができなかったんです。

そこには、自分にとって「救い」があったからでした。

 

自分が「不足」に目を向ける理由。

それは、欲しかったものが手に入らなかった時、その原因が「自分にない要素」であれば、頑張ってそれを克服すれば「欲しかったものが手に入る」かもしれないという ”希望” が持てるからでした。

 

原因が「不足」である方が、自分にとっては好都合だったんです。

逆に、そこにあるのが「不足」でないのなら、自分にとってはどうすることもできないし、もう自分にはそれが一生手に入らないように思えてしまって、そこで感じるのが「絶望」だったからこそ、「不足」に目を向けることで「希望」を見出したかったんだと思います。

 

そして、わたしがそこまでして欲しかったものは、両親からの愛なんだと思います。

両親の愛情や関心を受けている相手を見て、その愛情を得られないのは自分が「足りない」からだと思えば、そこに対して努力できるから、そしてそれを克服してしまえば両親からの愛情を手に入れられると思っていたからこそ、わたしはずっと自分の「不足」を見続けることをやめられなかったんだと思います。

 

そして、「足りないものがない」のに愛情を貰えてない自分を実感するのが本当に怖かったし、そんな自分を支えられるほどの心は当時はなかったんだと思います。

 

でも、最近、もうそんな考えをやめたくなっている自分がいました。

 

自分が今、こうやってはっきり「不足をみることのメリット」を実感して文字にできるのは、きっと、もう「不足」を見なくていいことに気づき始めているからなんだと思います。

 

もう、「不足」を見たくないと、それが自分の生きたい道じゃないと思えているからなんだと思います。

 

ここについては、まだ最近目を向け始めたところで、今からのスタートですが、また一歩ずつ自分と向き合いながら進んでいこうと思います。

 

頭の中の感覚をうまく言葉にすることができず何度も書き直しましたが、

きっと、「嫉妬」や「不足をみる感情」というのは、もっともっと大きくて、奥深くて、その奥底にはまだ想像できないくらいのものがあるんじゃないかと思います。

 

また、自分の人生を歩んでいく中でその奥にあるものに触れることができたら、ブログに書いていこうと思います。

 

 

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