こんにちは。
心理カウンセラーのみらいです。
今日は、トラウマとそこから生まれた「自分自身を苦しめ続ける感情」から本当の意味で解放されるには、ということについて、お話しようと思います。
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「ありのままの自分を認めましょう。」
「嫌な感情を抱いてしまう自分も自分。そんな自分が存在することを許して認めてあげましょう。」
心の世界について勉強していると、本当によく、こんな言葉を耳にします。
つい先日わたしが書いたブログ記事内でも、似たようなことをお話しました。
今、自分はこの「トラウマ」や、そこから生まれた「感情」で苦しんでいて、はやくこれらを消して楽になりたいのに。
「そんな自分を認めて、そんな自分が存在することを許しましょう」とか、そんなきれいごとを言われても、それで本当に自分は「ラク」になれるのか。
この苦しさから、本当の意味で解放されることはあるのか。
その存在を認めてしまったら、その存在が消えて無くなることはないのではないか。
このような不信感というのか、疑心暗鬼の気持ちが出てきたことのある方は、きっとたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
この記事を書いているわたし自身も、こういった言葉を聞くと、
どこかきれいごとを並べられているような、
論点をずらされているような、
根本的な解決にはつながっていないんじゃないかというような、
そんな疑いの気持ちをたくさん感じてきました。
今日は、「そんな負の感情をもつ自分自身を認めて、存在を許してあげましょう」という言葉の、その裏にある本当の理由についてお伝えできればなと思います。
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まず、
「トラウマ」や「それによって生まれた自分を苦しめ続ける感情」
を認めるということは決して、
「そんな自分に屈して、一生そのままでいる」ということではありません。
それは、「心の綱引きから手を放す」ということなのです。
今のあなたは、心の中で「過去のトラウマから生まれたお化け」と全力で綱引きをしています。
「こんな感情を抱く自分なんて大嫌いだ!」
「どうにかして早くこのお化けを倒して、完全に消し去らなきゃ!」
そうやって、あなたは歯を食いしばって、一生懸命に綱を引っ張っています。
でも、そうやってあなたが強く引けば引くほど、相手(トラウマから生まれたお化け)も同じ強さで引き返してきます。
あなたの両手は綱で塞がり、足も踏ん張り、意識のすべてが「このお化けをどう倒すか」に集中していきます。
あなたは動くことも他のことをすることもできず、ただただ、気力や体力や時間だけがそのお化けとの綱引きに奪われていきます。
もし、あなたが今、過去のトラウマやそこから生まれた感情に「窮屈さ」「不自由さ」「何とも言えない苦しさ」を感じているとしたら、
その正体は「トラウマとそこから生まれた感情」だけではなく、
実はこの「綱引き(終わりのない自分との戦い)にすべてのエネルギーを奪われている」ことが重なって、感じていることなのだと思います。
「認める」というのは、お化けに負けて引きずり込まれることではありません。
「認める」とは、ただ綱からパッと手を離すことなのです。
綱から手を離したら、どうなるでしょうか。
「トラウマから生まれたお化け」自体は消えません。
綱の向こう側にまだ立って、あなたをジッと見ているかもしれません。
でも、あなたの両手は、もう自由になっているのです。
「お化けはまだそこにいるけれど、もう戦うのはやめた」
そう気づいた時、あなたは自由になった両手で、自分のために温かいお茶を淹れることもできるし、自分の好きな本を読むこともできるようになります。
「本当の解放」とは「存在を消すこと」なのではなく、
相手の存在の有無にかかわらず、
自分が「自由でいられること」「選択権が自分にあること」なのです。
もちろん、「トラウマから生まれたお化け」自体はそこにいるわけですから、
また急に恐怖心が涌いてくることがあるかもしれません。
突然土砂降りの雨が降って身動きがとれなくなってしまうことがあるように、
自分の意思とは関係なく、急に感情がまた湧いてくることがあるかもしれません。
そしてそれ自体は、すぐにはどうすることもできません。
でも、そうやって雨の存在を認めるということは、
「天に向かって怒鳴って責める」ことをやめるということです。
「その存在を認める」ということは、
雨が降ってきたことを責め、止めようと必死になることをやめて、
雨が降ってきたのなら傘をさして、安全な建物の中に移動して、
温かいお茶をいれたり、お気に入りの毛布にくるまったりして雨が過ぎるのを待つ。
そんな、雨の中でも自分が穏やかな時間を過ごすことができる、
その自由な選択肢を得ることができるということなのです。
私たちはつい、
「本当の解放=トラウマによるお化けがこの世から完全に消滅すること」
だと思ってしまいます。
だから、完璧に消し去ろうとして、苦しくなってしまいます。
でも、本当の解放とは、
「お化けが部屋の隅に座っていても、私は私の好きなことができる(綱引きをしないでいられる)」
という状態のことなのです。
「恐怖心がでてくる自分も、まぁ自分の一部だよね。仕方ないか」
そうやって自分に白旗を揚げて、自分と戦うのをやめた時。
あの息が詰まるような窮屈さは嘘のようにスッと消えていきます。
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それでも、
「どうして完全に消し去って、綺麗さっぱり無くすことがゴールじゃないの?」
そう思ったりしますよね。
あんなに自分を苦しめ、大好きな人との関係をギクシャクさせる厄介なものなら、
跡形もなく消し去りたいと願うのは痛いほどよくわかります。
わたしも、過去の自分のトラウマをきれいさっぱり消し去って、
何もないまっさらな自分で生きられたなら、
どんなにラクで、平和で穏やかで楽しい時間を過ごせたのだろうと、
自分も誰も傷つけずに済むことができたのだろうと、
そう、何度も何度も感じてきました。
それでも、なぜ「その存在を消そうとすること」が本当の解放ではないのか。
ひとつは、自分の過去は決して「なかったことにはできない」からです。
きっと、この記事を読んでいる人は、何度も実感されてきたのではないでしょうか。
どれだけ頑張って消そうとしても、本当の意味で「消し去る」ことなんてできない。
一時的に蓋をすることはできたとしても、その事実を無いことにするなんて出来なかったということを。
きっと、その事実にぶち当たる度にもがいて、苦しい思いをされてきたかもしれません。
自分の過去は自分の心の中から「消し去る」ことはできないのです。
ただ、過去のトラウマへの感情を「変える」ことはできます。
それが、自分を知り、それを通じて相手を知るということ。
ということなのです。
そうやって、トラウマ自体を癒していくこと、自分の心や自分の人生における視点を変えることはできます。
人がトラウマとそこから生まれた感情に苦しむ時。
上にも書きましたが、そこには2つの苦しみがあります。
それは、
「トラウマ自体の苦しみ」
「トラウマから生まれたお化けを消そうと綱引きをすることで生まれる苦しみ」
です。
トラウマ自体への視点を変えることはすぐには難しいですから、
まず自分ができることとして、
その存在を消そうと綱引きするのをやめ、
まず、自分がその存在から自由になりましょう。
その存在は消すことはできません。
だからこそ、その存在の有無にかかわらず、自分は自由に選択できる状態になるのです。
そして、トラウマ自体の向き合い方については、
またお話していこう思うのですが、
自分と向き合い自分の感情を許していくことで、
過去のトラウマ自体に対する視点が切り替わって、
それが巨大な嵐を起こすものでもなくなっていく。
そのおかげで、得られたものがあるというような、
自分の人生において、その意味を変えていけるような、
そんな視点の変化と、そのことからの解放を
自分自身でつかみとっていくことができるのです。
あなたが消し去りたいと思っている「トラウマから生まれたお化け」。
その正体は、得体の知れない悪者などではありません。
過去のトラウマの出来事の中で「悲しい」「怖い」「私も捨てられるんじゃないか」と部屋の隅で震えていた、あの頃の小さなあなた自身です。
もし「このお化けを完全に消し去る」ことを目指してしまうと、
それは「あんなに傷ついて、必死に耐えてきた過去の私なんて、いなかったことにしてしまう」ということになります。
しかも、本当の意味で消し去ることなんてできないので、いつまでもその自分の存在を否定し続けることになるのです。
自分の心の中で、常にその自分の存在を消そうと、戦争し続けているようなものです。
本当の解放とは、この戦争を終わらせることです。
「あんな過去があったんだから、そう感じてしまう自分がいるのも当然だよね」
「部屋の隅に座ってていいよ。もうあなたを追い出そうとしないから」
そうやって、お化け(過去のあなた)の存在を許し、居場所を認めてあげた時。
面白いことに、お化けは安心して、スッと小さく、大人しくなります。
お化けがこれまであんなに巨大化して暴れていたのは、あなたが「消えろ!」と攻撃してくるから、必死に抵抗していただけで、
「ここにいてもいいよ」と許可された途端、お化けはもう暴れる必要がなくなり、ただの「静かな影(過去の思い出)」に変わります。
「消す」のではなく、ただ「戦う(綱引きする)」のをやめること。
それが、あなたが自分の人生の主導権を取り戻し、「好きなことができる」ようになるという本当の解放なのです。
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そして、もうひとつ。
今回、自分のトラウマと向き合うことについて。
それをどうにかしたいと思った出来事があったはずです。
仕事でも、恋愛でも、友人でも、お金でも、趣味でも。
なにかそのトラウマを乗り越えたいと思う理由があったはずです。
過去の自分のトラウマやそれに伴う痛みがあるならばば、
それを回避して生きていこうとするのが一般的なのだと思います。
でも、なにかのために、過去の自分のトラウマと向き合ってまでも乗り越えていきたいと思ったのなら、そこまでして諦められないものであったのなら、それは、自分・自分の人生にとって、本当に大切なものだからなのかもしれません。
そこに、その人が本当に歩いていきたい道や、掴みたいライフワーク、その人自身が本当に大切にしたい価値観が、反映されているのかもしれませんね。
とりとめのない文章になってしまいましたが、また、腑に落ちる形で書くことができたなら、ブログにまとめようと思います。