愛に生きる。

嫉妬

こんばんは。

心理カウンセラーとして勉強中のみらいです。

 

今日は「嫉妬」についてお話ししたいと思います。

 

最近嫉妬について考える機会が増えて、「今度お弟子講座で相談してみようかな」と思っていたタイミングで嫉妬に関する講義がありました。

なんて良いタイミングなんだと思いつつ、きっと自分にとって今が嫉妬と向き合う時なんだろうなとも感じました。

 

みなさんにとって「嫉妬」はどんな感情でしょうか?

 

私の中で嫉妬は、

感じたくないもの。

消えてほしいもの。

向き合いたくないもの。

一番と言っていいほど嫌悪していた、大嫌いな感情でした。

自分が癒されていろんな感情を認められるようになっても、それでも感じたくないと忌み嫌っていたのが「嫉妬」という感情でした。

 

もともとわたしは、バリバリの比較競争の社会で生きていました。だからこそ、本当はものすごく嫉妬するタイプだし、他の人のことがものすごく気になるタイプなんだと思います。

 

でも、嫉妬を感じると、

自分はどこか欠けていて

そんな自分には価値がなくて

だから自分はうまくいかないんだと思い

なんかものすごく惨めで、自分が負けたような感じがしていました。

 

そんな感情を感じるのが辛くて、惨めな自分を見るのが辛くて。

次第にもう嫉妬を感じたくないと、嫉妬を感じなくてもいいように生きるようになりました。

 

無意識に相手から目を逸らしたり、

そもそも見ないように避けたり、

相手の粗に目がいってしまったり、

嫉妬を感じないところまで距離をとったり。

 

そんな風に、自分の「嫉妬」から目を背けるような生き方をしていたからこそ、次第に嫉妬に気づくことはなくなっていったし、最近はほとんど嫉妬を感じなくなったなあとも思っていました。

 

でも、お弟子講座の後で改めて自分と向き合うようになってから、

わたしは嫉妬を嫉妬の形として直接的に感じていなかっただけで、見ないように避けたり、距離を取ったり、なんか苦手だなという感情を抱くこと自体が実は「嫉妬」の裏返しの行為だったんじゃないかと思うようになりました。

 

そう思うと、自分の日常には大なり小なりたくさんの「嫉妬」が散りばめられてるんじゃないかということにも気がつきました。

 

さらにそこから、

たとえ日常では蓋をして見ないフリができたとしても、そんな感情を否が応でも感じてしまうのがわたしにとっては「恋愛」だったんだな、ということにも気がつきました。

 

他の人とはどれだけ距離が取れて見ないフリができたとしても、恋愛となるとある程度近い距離になってしまうし、嫌でも目についてしまう。

 

心の距離がまだ離れているうちは上手くいくのに、だんだんと近づくにつれて自分が蓋をしていた嫉妬心が湧き上がってきてしまい、それが抑え切れずに溢れると、その感情に飲み込まれてしまいました。

自分でも自分の感情がコントロールできず、相手を責めてしまったり、嫉妬を感じなくていいように相手をコントロールしようとしたり、嫉妬の対象となる人を敵視していました。

 

そして、そんな感情に飲み込まれてしまう自分も、大好きな人を大嫌いになってしまう自分も大嫌いだったからこそ、

いつからか、誰かと近い距離になることを怖いと思い、嫉妬を感じなくてすむなら、その距離のままでいたいと思うようになったのかもしれません。

もしかしたら、これが自分にとって親密感の怖れを生み出した一つだったのかもしれません。

 

そんなふうに見ないように避けてきたものだったからこそ、自分の中で嫉妬というものが実は大きくて、ずっと抑圧していたものなんだなということに気付けたことは、大きな収穫でした。

 

自分が忌み嫌っていた感情を見ていくのは辛くてしんどいですが、なんとなく、向き合うなら今なのかもしれないなと思いました。

そして今そう思えたのなら、乗り越えることができるかもしれないなとも思いました。

 

でも、どうしたらいいんだろう。

 

ひとまず、無理なくできるところから始めようと思いました。まずは、自分が嫉妬してること自体を認めていくことにしました。

 

自分の心をじっくり見て、ひとつひとつ、丁寧に拾い上げることにしました。

 

そして、少しずつ、心の中で

「いいなと思ってるんだな」

「すごいなと思ってるんだな」

「羨ましいと思ってるんだな」

「あの人に嫉妬してるんだな」

と、あえてそんなふうに言葉にするようにしました。

 

自分は嫉妬してるんだなって素直に認められるだけでも、なんだか心が少し楽になった気がしました。

ようやく相手から、目を逸らさずにいられるような気もしてきました。

 

そしてそれから、少しずつですが、機会があれば相手と話している時にも、言葉にすることにしました。

「そんなところがいいなと思う」

「そんなところがすごいなと思う」

「素直に羨ましい。」

「正直、嫉妬してる。笑」

少しずつ、言える範囲で、今まで口にしてなかったものを、見ないように避けていたものをちゃんと見て、言葉にすることにしました。

 

そうしたら、想定していなかったことですが、

「こんなところがいいなと思ってた」

「そんなところがすごいなと思ってた」

「実はいいなあって嫉妬してたよ」

と、相手からもそんな風に言ってもらえる機会がありました。

 

自分の魅力をそうやって伝えてもらう機会があまりなかったし、受け取らないようにしていたからこそ、その場が新鮮で、嬉しくて、自分にもそんな魅力があったんだと、知ることができました。

 

今まで嫉妬を嫌って感じないようにしていたことで切れていた人とのつながりが、嫉妬を認めて出すことでもう一度戻ってくるような、そんな感じがしました。

 

そして、言われて印象的だったのが「あなたには相手の魅力やポテンシャルを引き出す力があるよ」という言葉でした。

 

もしかしたら、忌み嫌うほど強い嫉妬心には、相手のもってる魅力やポテンシャルに気づける才能があるのかもしれないなと思いました。そして、そこに気づけるからこそ、引き出していくこともできるのかもしれないなと思いました。

 

そして、もう一つ。

相手に魅力を伝えたとき「それ、そのままあなたのことですよ」と言われました。

 

今までこんなやりとりをしたこともなかったので、そう言われたのも初めてで「え?そうなの?」と、びっくりしました。

 

お弟子講座の中で、

「嫉妬は投影だから、その人が抑圧している魅力を見ている。だから、もうすでに持っている才能なんだよ。」

と教えてもらいましたが、

 

自分にとっての嫉妬はむしろ、自分に「ない」ものを教えてくれるものだと思っていたからこそ、それが自分の中に既に「ある」なんてことがその時はこれっぽっちも実感として理解できませんでした。(すみません)

 

でも、その人からそう言われたとき、もしかしたら本当に、自分が気づけていないだけで、既に自分が持っているのかもしれないなと思いました。

 

今まで忌み嫌って、感じたくなくて、消えて欲しいと思っていた感情。

それによって、友達も仕事も恋愛もある程度の距離を保ち、相手の良さからも自分の良さからも目を逸らしていた感情。

 

そんな嫉妬を認めて素直に表現していくことで、短い期間での実感ですが、もしかしたら自分がずっと欲しかった相手との深いつながりや、自分自身との深いつながりが持てるようになるのかもしれないと思いました。

そして相手の魅力だけでなく、自分の魅力にも気づけるのかもしれないなと思いました。

 

ずっとそこに愛を見出すのは無理だと思っていた感情に、そんなあたたかくて大きなポテンシャルを見たような気がします。

 

そして、今まで感じるのが怖いと思っていた嫉妬も、感じるのが怖く無くなるのかもしれないなと思いました。

 

まだ気づき始めの段階ですが、自分の中では大きな変化だなとも感じました。

 

これからも自分のできる範囲で歩いていきながら、そんな自分を通して「嫉妬」についても、さらに何かお伝えできるものがあればいいなと思っています。

 

(写真はお弟子講座でのお弁当です🍣)

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