愛に生きる。

ココロノマルシェの回答〜そこにあるのは不足ではなく、大きな愛情〜

こんばんは。

心理カウンセラーのみらいと申します。

 

”ココロノマルシェ”という、皆様から寄せられたご相談に根本裕幸さんのお弟子制度を卒業したカウンセラーがお答えしていくサイトがあり、今回わたしも僭越ながら回答させていただきました。

ココロノマルシェ | 心理カウンセラー根本裕幸のお弟子さんがあなたのお悩みにオンラインで答えます。 オンライカウンセリング,無料相談,カウンセリング (cocoro-marche.com)

 

何で私だけこんな目にあうんだろう、と複雑な気持ちになり、モヤモヤしています。

私は小さい頃から家族に女だから、1番下だからといじめられました。
幼稚園、小中高もいじめにあい、大学でもアカハラ、仕事でもパワハラがきっかけで精神疾患になりました。友達にも心無い事を言われ疎遠になり、今は友達と呼べる人はいません。

何回も自ら命を絶とうとしました。でも怖くて出来ませんでした。変な事言うようですが何かに誰かに止められているような感覚があり、諦めて今に至ります。

去年最愛の人と結婚し、義家族にも可愛がられ、幸せになれたと思っていました。
今年になって妊娠が発覚したものの、医師から初期流産する可能性が高いと告げられ、1番恐れていたものを目の当たりにしました。自分の体を傷つけるより、辛いです。

私はどうなってもいいから、元気に産まれて欲しい。この子のためにどんな事があっても受け入れよう。少しの可能性を上げる為に、できることは色々やりました。

しかし検査する度に、現実を見ては失神しそうになりました。手術でなく自然に任せている為、まだ小さく成長していながらも、お別れが来てしまうのかなという不安があります。

その時に、私をいじめた親や人は何故あんな事しておいて生きてるの?意味がわからない。私は子どものためなら、命を絶っても良いと思っているのに、何故子どもが悲しい結果になってしまうの?と理不尽さを感じるようになりました。

子どもは生まれる前から運命が決まっているとありますが、仮に自作自演だったら何が原因だったの?と自分を問い詰めています。こんなに苦しい目にあっているのに、まだ何か足りないの?と。

重いテーマで扱いにくいかもしれませんが、辛かったのでご相談させて頂きました。

(あめさん)

 

あめさん、はじめまして。
心理カウンセラーのみらいです。

 

心の内をお話ししてくださり、ありがとうございました。

ここでは、どんなことを言っていただいても大丈夫です。

どんな感情も、どんな思いも、わたしはいつでもここで聞いています。

だから、安心してお話してくださいね。

 


あめさん、今まで、本当によく頑張ってきましたね。

 

何度も命を絶とうと思うくらい、そう思ってしまうくらい、辛かったんですね。

 

どうして自分ばかりがこんな目にあわなければいけないんだと、そう思うような経験をしてきて、
それでも今を生き続けてくださったこと、そして、きっと今も辛い思いを抱えながらここにたどり着いてくださったこと。

 

そのどれもが当たり前のことではなくて、本当によく頑張ってきてくださいましたと、心から抱きしめたい気持ちでいっぱいです。

 

ここは安心、安全な場ですから、どうか、安心して感情を解放しながら、ご自身のペースで読み進めていってくださいね。

 


文章を読んで、あめさんはとても思慮深く、人を愛する力がとても強い方だと感じました。

 

▷私はどうなってもいいから、元気に産まれて欲しい。この子のた めにどんな事があっても受け入れよう。少しの可能性を上げる為に 、できることは色々やりました。

この文章を読んだ時、自分の体に宿る、自分と血を分け、命を共にし、自分に身をゆだねる我が子への深くて大きな愛情が、痛いほど 伝わってきました。

 

自分がどうなってもいいから、この子は元気に生まれてきてほしい。
この子が元気で生まれてくれるのであれば、できることはなんだってする。 

 

あめさんの中にあるのは、きっと、そんな我が子を想う偉大な母の愛なのだと思います。

あめさんにとって、お腹の中にいるお子さんは、そう思えるくらい 誰よりも大切で愛しい存在なのだと思います。


ですが、そんなふうに自分の子供に対する深い愛情を感じれば感じるほど、


▷私をいじめた親や人は何故あんな事しておいて生きてるの?意味 がわからない。私は子どものためなら、命を絶っても良いと思って いるのに


そんなふうに、自分の家族や周りの人は自分に対してはそうでなかったという"違い"が、どうしても浮き彫りになってきてしまうのだと思います。

 

どうして、わたしの家族はこうやって愛してくれなかったのだろう 。

どうして、周りの人たちはこうやって大切にしてくれなかったのだろう。 

あめさんの心の奥深くには、そんなやるせなさや悲しい気持ちがあるのかもしれません。

 

そして、
▷まだ、何か足りないの?

 

もしかしたら、あめさんが大切にされていないと感じた時にはそうやってずっと、自分に問いかけ続けてきたのではないでしょうか。



あめさんは、どんな子供時代を過ごしてきたのでしょうか。

大切にされていないと思った時、どのように感じていたのでしょうか。

 

「女だから」「1番下だから」 

 

いじめられるんだ、大切にされないんだと、ずっと一人で抱えていたのでしょうか。

ずっと、自分の中に原因があるんだと、そう思い続けていたのでしょうか。

 

実際に、そういう言葉を耳にしたからかもしれませんが、きっと、 今まで理不尽なことや嫌なことがあっても、相手のせいでもなく、 誰かのせいでもなく、自分に原因があると思い続けてきたのではないでしょうか。

 

自分に足りないところを探して、
自分が大切にされないのは、
自分が愛されないのは、
誰かのせいではなく、自分のせいだと思い続けてきたんじゃないでしょうか。

 

自分にはどこが足りないのだろうと、ずっと探してきたのではないでしょうか。

そして、それを変えるために、その時自分ができることを全て、やってきたのではないでしょうか。 

 

それくらい、頑張ってきたのではないでしょうか。

もう、十分すぎるくらい、あめさんは頑張ってきたんだと思います。



そして、これは決してあめさんに不足があるのではなく、あめさんの中にある、人並み外れた大きな愛故のものだと思います。

 

なにか理不尽なことがあったときや辛いことがあった時、自分のどこがいけなかったんだろう、自分の何が悪かったのだろうと、 自分を犠牲にしてまで、相手を守りたかったんだと思います。 

 

それほど、家族のことを愛していたんだと思います。

それほど、周りの人を大切にしたかったんだと思います。

そう思ってしまうくらい、あめさんはみんなのことが大好きだったんだと思います。

 

どこがいけないのだろう。

どこが足りないのだろう。

 

今まできっと、そんなふうに自分の中に足りないものを探し続けて 、そのときの自分にとってできることを全てやり続けてきたんだと 思います。

 

だからこそ、もしかしたら、精神疾患になるまで自分を追い込んでしまったのかもしれません。


もうそろそろ、頑張ってきた自分を認めてあげる時が来たのかもし れませんね。

それだけ全身全霊でみんなのことを愛してきた自分自身を、認めてあげる時が来たのかもしれません。

 

もう、自分の足りないところを探さなくても良い時がきたのかもしれません。


もう十分、あめさんは頑張ってきました。

もう十分、戦ってきました。

十分すぎるくらい、向き合ってこられました。


だからこそ、今度は不足から自分の持っているもの(充足)に、少しずつ視点を変えていく時なのかもしれません。


今すぐにはできなくてもいいです。

今まで頑張ってきた自分を、少しだけ、想像してみてください。

 

どんな姿をしているでしょうか。

ずっと、人知れず、頑張ってきたんじゃないでしょうか。

誰も知らない場所で、一人、泣いていたんじゃないでしょうか。

 

自分には何が足りないのだろうと、ずっと、そう思って一人で生きてきたのではないでしょうか。

 

頑張ってきた自分の手を、優しく包んで握ってあげてください。

もしできるなら、ぎゅっと、抱きしめてあげてください。

 

そして、頑張ってきたあめさんに向かって、こう言ってあげてくださいね。

「よく、頑張ってきたね。」

「頑張ってきてくれて、ありがとう。」

「わたしには、足りないところなんて何もなかったよ。」

「それだけ頑張るほど、みんなのことが大好きだったんだね。」

「それくらい、みんなのことを愛していたんだね。」

「それくらい、みんなからも愛されたかったんだね。」



あめさんは、自分を犠牲にしても良いと思えるほど、家族や周りのことを大切に思い、愛して続けてきたんだと思います。

 

そして今も、周りに対しても、新しく授かった大切な命に対しても 、ずっと、大きな愛で接し続けているんだと思います。

今はきっと、心も体も疲れ切ってしまっていると思います。

 

だからこそ、まず、あめさんができることは、今まで頑張ってきた自分自身を休めてあげてくださいね。

 

夜は寝られていますか?

しっかり食事はとれていますか?

 

きっと、焦る気持ちも、不安な気持ちも十分あると思います。
ですが、まずは大切な赤ちゃんのためにも、心と体を少し休ませてあげてくださいね。

 

そして、もし体力がもどってきて気力がでてきたら、下記のことを是非やってみてください。

一冊ノートを用意してください。

 

今の辛い気持ちでも、過去の家族や周りに対する怒りの気持ちでも 何でも良いので、今の自分に湧いてくる気持ちをありのままに感じて、書き出していってください。

ぐしゃぐしゃになっても、綺麗でなくても構いません。

むしろ、感情の赴くままに、感情を全てぶつけるつもりで書いてみてください。
普段なら言わないどんな暴言でも、そのノートになら安心して吐き出すことができます。

 

怒りが収まらなかったら、ノートを破いてしまっても構いません。
涙が止まらなかったら、泣きながら書いても構いません。

一度心がもういいかなと思えるまで、書いて、心の中にあるものを吐き出していってください。

 

悔しかった自分、辛かった自分、過去の自分、今の自分を全て感じてあげてください。

そして、もし何も書けない場合は、何も書けない、何も出てこない 、ということを書いてみてください。そんな自分を感じてみてくだ さい。
今は、それだけで十分です。



そして、最後に。

 

▷変な事言うようですが何かに誰かに止められているような感覚があり、諦めて今に至ります。

 

きっと、その時に止めてくれたのは「あめさん自身」なんじゃないかなと思います。

あめさん自身も、また、あめさんを愛してるんだと思います。

助けてあげたいと思っているんだと思います。

幸せになってほしいと思っているんだと思います。

 

あめさんにあるのは、不足ではなく、自分と、周りに対する溢れんばかりの愛と思いやる才能なんだと思います。

 

そして、ここからはわたしの考えですが、

子供は、自ら親を選んでくると言われています。

自らの才能を持って、親を助けにくる人もいます。

 

あめさんのお子さんは、ずっと苦しい思いをしていたお母さんのことを、大きな愛をもって助けにきてくれたのかもしれませんね。

空から見守っていたときも、お腹の中にいる今も、お母さんのことが大好きで、心から愛しているのだと思います。

いつも、あめさんが慈しみ、大切に守り育ててくれているように、 きっとお子さんも、あめさんのことをお腹の中からずっと見守ってくれているのだと思います。

 

必死になって守ろうとしてくれているお母さんからの大きな想いも愛情も、ちゃんと伝わっていると思いますよ。

 

愛の大きなあめさんだからこそ、同じくらい大きな愛をもったお子さんが、あめさんをお母さんとして選んできたんじゃないでしょうか。

お互いを想い合い、愛し合う、素敵な親子だと思います。

 

わたしは、そう、信じています。



頑張り屋さんのあめさんは、今まで、おひとりで十分すぎるくらい頑張ってこられたと思います。

 

これからは、みんな、いつでもここで待っていますから、困った時や悩んだ時はいつでもここにきて頼ってくださいね。

 

相手を慈しみ、偉大な愛をもつあめさんのことを、心から応援しています。