愛に生きる。

頭の中の思考グセ

こんばんは。

心理カウンセラーとして勉強中のみらいです。

 

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

年明けから本当にまだ11日なのかと思うくらい色々なことがあって、いろんな感情を感じながら過ごしていました。

 

SNSやテレビなどのメディアを通して得られる情報があまりにも多く、それが本当に各方面で続いたため、感情が飲み込まれてしまいそうになり、少しだけ離れて、その時、自分にできることをしながら過ごしていました。

 

その中で、現代は本当にいろいろな種類の情報やいろいろな人の考えにすぐに触れることができる環境が整っていて、わたしたちは本当に日々たくさんの情報を目にしながら生きているんだなあと、改めて感じていました。

 

そして、そんな環境の中にいる自分にはあれこれ考えてしまう「思考グセ」があることを改めて実感しました。

今回疲れてしまったのも、おそらくこの「思考グセ」による影響が大きかったんじゃないかなと感じています。

 

今日は、そんな「思考グセ」に関してふと思い浮かんだあったので、そのことについてお話していこうと思います。

ふわっとした内容なので、気楽に読んでいただければと思います。

 

「わたしって四六時中、何かしらずっと考えながら生きているんだな」

 

そんな風に自分の「思考グセ」を認識したのは大学生の頃でした。

きっかけは覚えていませんが、何かのタイミングでふと気が付きました。

 

そう思って自分の日常を観察してみると、たしかにずっと何か考え事をしていて、目についたことだったり、SNSでふと見た内容だったり、他人のふとした発言だったり。

「自分だったらどう考えるかな」、「自分だったらどう答えるかな」

そんなことを考えながら過ごしていたり、

ふと浮かんできた世の中の常識や真理、人生、はたまた宇宙のようなものに思いを馳せてみたり、

何も思考することがなければ、自分の過去の言動や、今の現状を省みて、どこかより良くするところがないかを思案してみたり、そんなふうにあっちこっちと、思考を巡らせていました。

 

考えることは本当に多種多様でしたが、何かについて考えていなければ落ち着かないような感じがして、思考していることが自分の中で安定した状態だったのかもしれません。

 

自分がそうだったから、周りの人もきっとそうだろうとずっと思っていたのですが、友人と話していてどうも皆が皆そうではなく、ただ自分が「思考グセのあるタイプ」なんだということにも気が付きました。

一般的にどちらが多いのかはわかりませんが、心理学に興味がある方は思考グセのある方が多いんじゃないかなあと感じていたりもします。

 

もちろん、思考グセは悪いことではなく、それによって新しいことに気がついたり論理展開していくこともありますし、恩恵もたくさん受けています。逆に、思考グセがないことが悪いことでもありません。

 

ただ、それが頭の中で行うものだからこそ、思考というものは「実体のない、ふわふわした、どこかつかみどころのない存在」でもあって、

だからこそ、自分でも自分の頭の中をうまく言語化できないし、はっきりと認識することができないという特徴があります。

そして、一つの事柄に対してもあっちこっち飛びながらいろんなことを考えているので、自分の真意を伝えようとすると言葉の量が膨大になってしまう感じもしています。(わたしの場合は、です)

 

こういった自分の思考というものが、

「どこかふわっとしていて不明瞭なもの」

「自分でも自分の頭の中をうまく言語化できない」

「言葉にして伝えようとすると膨大な量になってしまう」

そういうものであるという認識があることで、結果的に、

「自分が本当に考えていることを言葉で表現することはできない(できる気がしない)」

という感覚になってしまうことがあります。

 

その一端をかいつまんで伝えたとしても、それは自分の思考のほんの一部でしかなく、本意ではないような感じがするし、それならば最初から「自分の考えを話すのはやめよう」となってしまうこともありました。

 

自分の中では、そんな感覚がネックになってしまって、モヤモヤを生み出していましたし、

どこか自分のことを伝えることを諦めてしまっていて、心の中だけで独り言を話しているような感覚になることがありました。

 

そんな感覚に新しい風を吹き込んでくれたのが、

お弟子講座をきっかけに始めたこのブログだったり、お弟子同期とするカウンセリングのデモセッションだったり、はたまた、カウンセラーさんとの実際のカウンセリングでもありました。

 

今まで他人の話を聞いたりすることはあっても、自分の思考をアウトプットしてみる機会というのがそんなに多くはなかったので、すごく新鮮な気持ちでした。

 

自分のことをブログに書くのも、誰かに話すのもすごく苦手でずっとやってこなかったので、初めてやってみたとき、特にブログだと目に見える形で目の前に自分の思考が現れてくれるので、

「あ、わたしって本当はこうやって思っていたんだ。」

「え、もしかしてこの感情はここから来ていたのかな」

と、気づいてなかったことに気づけたり、更に一歩踏み込んで理解することができたりすることに気が付きました。

 

更に、アウトプットすることで情報が自分の中で整理されていく感じもあって、

最近受けるカウンセリングでは「お話がよくまとまっていますね」と言っていたけることが多いのですが、これは自分の過去を話すことを重ねていくうちに、過不足なく自分の感情や状況を伝えることができるようになったからだと感じています。

 

自分の中にあったものをアウトプットすることで、自分のふわっとしていたものに輪郭がつき、気づきを得ることもあり、そして情報が整理されていくプロセスを今も実際に感じています。

 

なので最近は、モヤモヤしたり聞いてほしいことができたらとりあえず誰かに話すようにしています。

 

もともと周りの人に相談が出来なかった私は、話す対象をカウンセラーさんにすることも多いのですが、今後はお弟子同期ともカウンセリング実習以外でも沢山話してみたいなあと感じています。

 

そして、特にこのブログを書き始めてからの進歩をすごく感じていて、文字として客観的に見ることで自分についての理解が進んだり、モヤモヤしていたものから抜け出せるようになったのは、このブログを書き始めてからが大きいような気がしています。

 

もし、わたしと同じように思考グセがあってモヤモヤしてしまうことが多い方は、ぜひ、安全だと思えるところでご自身の思いや考えを話したり、書いたりして、アウトプットしてみてください。

そしてもし、わたしと同じように周りに話すのは躊躇われるなという方がいたら、カウンセリングというものも一つの手段だと思います。

 

2月からお弟子8期のモニター募集が始まるとのことで、私自身もそんな方々の思考や感情を一緒にみにいくお手伝いができたらと思いますし、ここなら話してもいいなと思えるような安心・安全な場を提供できたらと思っています。

気になる方がいたら、是非、お話しにきてくださいね。

 

さらっと宣伝をいれましたが、

同期もみなさんとてもあたたかい愛のある方々ばかりなので、もし気になる方がいたら、是非お話してみてください。

 

話は変わりますが。

 

2024年始まってまだ少ししか経っていないですが、そんなふうに過ごしている中で過去の自分を思い返す機会がありました。

 

心理学に出会って、カウンセリングを受けて、お弟子になって、当初の辛かった状況から大きく変化したなあと思ったことがあったので、少しだけピックアップして書いていこうと思います。

 

一つ目は、犬猿の仲だった上司との関係の変化です。

 

当初はいじめられたり嫌味を言われたりして大嫌いだったし、この人とはどう頑張っても仲良くなれない!とずっとずっと思っていましたが、最近になって優しい言葉をかけてもらえたり、認めてもらえるようになって、飲みに誘われたり、一緒に仕事をしようと声をかけてくれるようになりました。

 

今では相手の能力の高さや人一倍努力家であることをわたし自身も認めることができるようになり、2人の間に若干のぎこちなさは残りながらも、今では相手のことを尊敬していますし、大嫌いな上司から大好きな上司に変わりました。

以前は普通に話したり一緒に仕事をする将来が本当に想像できなかったので、この変化は自分でも驚きでした。

 

そして、色々なケースがあると思いますが、わたしの中ですごく「嫌い」だと感じて、その感情をどうにかしたいと思う相手は「本当は好き(または惹かれる)」なのかもしれないなあと思いました。

 

本当は好きなのになにかしらのブロックがあって好きになれない、嫌いという感情を持ってしまうことが自分の中でモヤモヤしてしまうし、そんな自分もなんか嫌だというような状態なのかもしれません。

 

そして、そんな相手に対して思う嫌な感情は、そのまま自分に対して言っていた言葉だったんだなと改めて感じました。

「相手は自分の投影」というのは、まさにそうかもしれません。

 

もう、自分をそんな風にいじめなくていいよと、これからはそんな風に自分に対して声をかけてあげて、許していってあげたいなと思いました。

 

そして二つ目は、以前感じていた孤独を感じなくなりました。

 

もともとはものすごく寂しがりやで、パートナーがいることで自分の心の平穏を保っていたところがありました。

逆に、パートナーがいないと孤独で、不安で、みじめな感じがして、それを埋めるために予定を詰めたり、他の人からお誘いがあることで自分の中の不足を埋めていたように思います。

でも、そんな風に孤独を埋めるために予定を詰めたとしても、どこか頭の中にはみじめな自分がよぎってしまい、「なんだか楽しくない」という思いを抱えながら過ごしていました。

 

ただ、最近になってふと、その気持ちを感じなくなっていることに気がつきました。

今パートナーがいなかったとしても、「今の自分がそうならしゃーないよね」という感覚で、以前よりも自分の今の状態を受け入れられるようになってきたような気がします。

 

もちろん今でもパートナーは欲しいとは思っていますが、日常がそこに引っ張られることがなくなったというか、自分がそこに浸ることがなくなって、今楽しいこと、今自分がやりたいことを選択して過ごせるようになったように思います。

 

そして三つ目は、以前からずっとあった、

「人生は生きづらい」という感覚や、「常に低空飛行のテンションで生きている」という感覚、「普段の生活に何も張り合いもなくて楽しいことがない」といった慢性的な感覚が、知らない間に感じなくなったなと思いました。

 

自分の中にずっとあった、重くて暗い感情だったのですが、この間ふと「そういえば最近感じなくなったな」と気づきました。

 

理由は、わかりません。

やりたかった心理学の勉強を始めたからなのか、なんなのか。でも、特にそのことについてアプローチはしていませんでした。

 

でも、こういうことはたまにあるように思います。

自分が問題だと思っているところに直接アプローチしていなくても、他のことをやっていたら自然と問題がなくなっていた。

 

そんな経験があったからこそ、もしかしたら色々と自分にアプローチしていく中で、きっかけとなるようなことに自然とアプローチしていたのかもしれません。

 

自分の経験を通してこういうこともあるんだなあと、みていただけたら嬉しいですし、自分の変化には自分が一番気づけないと言います。

みなさんも自分の中で変わったなと感じることがあれば是非、アウトプットして、それを実感してみてください。

 

今年もどうぞ、よろしくお願い致します。