愛に生きる。

目立つことへの怖れ

こんにちは。

心理カウンセラーとして勉強中のみらいです。

 

わたしにはずっと、目立つことに対する恐怖心がありました。

 

没個性をモットーに、できるだけ目立たず、みんなの中に紛れ込んでいたいと思いながら過ごしていました。

 

今日はそんな、自分の中にある「目立つことへの怖れ」とそれを通して気づいたことについて、お話しようと思います。

 

はじめまして。

わたしは小さい頃から、人と違ったり、目立ったり、人の目に留まってしまうことに対して強い恐怖心がありました。

ずっと没個性をモットーに生きていました。

ウォーリーをさがせのウォーリーにすらなりたくない” 、と思っていました。

仕事でも、自分の中で「いいなあ」と思う人は、誰からみても60点くらいのことができて、誰の目に留まることもなく流してもらえる人でした。

「出る杭は打たれる」

「目立つことで他人から攻撃されてしまう」

「みんなの中に紛れ込むことで攻撃されない安心感がある」

自分が誰かの目に留まってしまうと攻撃されてしまうような気がして、没個性であることで得たかったものは、誰からも攻撃されない安心感だったんだと思います。

でも最近になって、本当は没個性でいたいとなんて思っていないんじゃないか、という気持ちもでてきました。

ずっと自分を抑えて生きていくのも、息が詰まるような気がしてもう嫌だと。

もうそろそろ自分らしく、魅力や才能を認めてのびのびと過ごしていきたいと思うようにもなってきました。

どうしたらいいのでしょうか。  

(Mさん)

 

自分の悩みはきっと誰かの悩みでもあるんじゃないかと思い、書きました。

 

昔からずっと「目立つことへの怖れ」が強くありました。

怖れというよりも、「目立ってはいけない」という禁止だったのかもしれません。

 

自分の中にそんな”恐怖心”があることに気づいたきっかけは、お弟子制度でした。

 

ブログやSNSを通してみんなに発信したり、自分を見てもらう。

そうしたプロセスのなかで、自分の知らない人に自分が知られていくことだったり、取り上げてもらってみんなの目に留まること自体に、ものすごく恐怖心を感じていることに気が付きました。

 

「せっかく誰の目にもつかないように生きてきたのに。」

そんな思いが自分の中にあったんだということに気が付きました。

 

「ウォーリ―を探せのウォーリーにすらなりたくない」

というのは、本当に自分の気持ちをよく表した言葉でした。

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目立ってしまったり、他の人と違う選択をしてしまう自分を見ては、みんなと同じでいられない自分に対して本当に嫌な気持ちを抱くこともありました。

 

ですが、そうして過ごしていく中で、個性を出してキラキラ輝いていて、ステージに立ってみんなの注目を集めているような人たちを見て、「いいなあ」という気持ちを抱くこともありました。

 

わたしは本当に、没個性でいたいのだろうか。

そんなふうに思うようになりました。

 

目立つのが嫌だと感じたのは、いつからだろう。

そう思ったときに、母と自分の幼少期のことを思い出しました。

 

わたしの母は、誰よりも目立ったり人の目に留まることが嫌いな人でした。

持ち物も、普段の生活も、できるだけ質素にするように心がけていました。

 

”自分が恵まれていることは言ってはいけないよ。”

”恵まれていることは、隠さなきゃいけないよ。”

小学生の頃はそんな風に言われながら生活していました。

 

また、

”あなたは恵まれてるから、兄弟から嫉妬されてるんだよ。

あなたがそれを分かってあげて、ちゃんと対応してあげなさい。

傲慢にならず、謙虚に生きなさい。”

そんな風にも言われていました。

 

また、他にも理由はいろいろとありましたが、

目立ってはいけない、みんなの目に留まってはいけない、有名になってはいけないと、

そんな教訓のもとで育ってきました。

 

小さい頃、芸能界に憧れてオーディションを受けたことがありました。

キラキラしたステージの上で輝いている人たちがまぶしくて、憧れて、自分もそんな場所に立ちたいと思っていたんだと思います。

事務所から合格をもらって、両親とどうするか話し合いになったとき、

「目立ってはいけない」「人の目に留まってはいけない」

そのときの教訓を思い出して、最終的に辞退しました。

 

あの時の選択自体は間違ってなかったし、今の道を選択して良かったなと思っていますが、このエピソードを思い出したとき、別にわたし自身は目立ちたくないとか、没個性でありたいとか、本当にそう望んでいたわけではなかったんだなと思いました。

 

じゃあ、わたしは誰の思いを背負って生きてきたのか。

そこにいたのは、母でした。

わたしは母を背負って、母の思いを自分の思いとして生きてきました。

 

わたしの母は、華やかな容姿で、いるだけでみんなの目を引くような人でした。

さらに、母が進んできた人生も選択もありきたりなものではなかったからこそ、周囲からはどうしても目立っていました。

 

嫉妬されたり、攻撃されたり、やっかみを受けたり。

自分が目立つことで、誰かの目に留まることで、良い思いよりも大変な思いや苦しい思いをしてきたんだと思います。

 

だからこそ、母はとにかく人の目に留まることを嫌い、ひたすら目立たないようにすることで自分を守ってきたんだと思います。

そして、今では家族を守るために、私たちにも目立たないようにと教えてきたんだと思います。

 

目立つのが怖いと思っていたのは母の思いで、わたし自身は自分を隠したり抑えて生きたかったわけではなかったんだと気づいたとき、これからどうしていくのがいいのか考えました。

 

母の思いを背負って生きてきた人が、自分の思い描くビジョンに進みたいとき。

以前にセミナーでみたイメージが頭をよぎりました。

 

それは、母を背負って進むのではなく、母を背中からおろして、まずは自分がビジョンに向かって進んでいく。

その先で、母に「こっちにおいでよ」と導いてあげる。

そうやって、自分が母のリーダーになっていくことで、自分も、そして母も、生きたかった生き方ができるようになっていくのではないか。

「これだ!」と思いました。

 

実は母も、小さい頃に一度芸能界に入ろうか迷っていたことがあったようです。

きっと母は、そういったステージは嫌いじゃないんじゃないかと思います。

でも、得体の知れない恐怖心が勝ってしまって、ずっと抑圧して隠れて生きてきたんだと思います。

 

普段メイクをしない母に、一度メイク道具を貸してあげたことがあります。

下地をつけて肌のトーンが明るくなった姿を鏡で見た母は、すごく嬉しそうな様子で「これ、いいね」と言っていました。

本当は母自身も、自分の魅力をもっとだしていきたいと思っているんじゃないか、そんな自分を存分に楽しみたいという思っているんじゃないかと思いました。

 

だからこそ、わたしは母をおろして、自分で生きたいビジョンに向かって進んでいきたいと思いました。

 

わたしも自分の整容には無頓着なところがあって、手始めに何から始めていこうかと思っていたとき、"自分の気分があがるようなものを身に着けてみては"とアドバイスをもらいました。

 

”Diorのリップとか、かわいいじゃないですか。”

そんな一言をうけて、とりあえずDiorに足を運んでみることにしました。

 

Diorの店員さんに似合う色をさがしてもらいながら、鏡の前でメイクアップをしてもらったとき、多少の色やツヤ感の変化でも印象が変わって。

いろんな自分と鏡の中で出会いながら、自分に似合うものを選ぶ過程も楽しかったですし、自分に似合うものを見つけたときはすごくうれしくて、それをつけている自分が大好きになりました。

 

そのリップをつけてると、なんだか春がきたような、華やかになったような、自分の気持ちの中ではそんな変化がありました。

 

今までは目立たずにいたいと思って自分を抑えて生きてきましたが、これからは、自分がどうありたいか、どんな自分だったら楽しくてワクワクしているのかをイメージしながら、過ごしていこうと思います。

 

今は、身に着けるアクセサリーを考えたり、服を考えたり、髪型を考えたりと。

今までとは違う目線で選んでいっているこのプロセスがすごく楽しいです。

 

少しずつ自分の魅力を認めて活かしていきながら、自分自身が楽しめるもので自分を彩ってあげたいなと思いますし、そんな変化をこの年末に感じられたのはとても嬉しいことだなと思いました。

 

2023年も、ありがとうございました。