愛に生きる。

手放すということ

こんばんは。

心理カウンセラーとして勉強中のみらいです。

 

今日は、自分の人生を大きく変えた出会いについて、お話ししようと思います。

 

その方は、わたしが心理学の世界に踏み込むきっかけをくれた人でした。

決して綺麗な出会いではなく、わたしにとっては投影とも言える存在で、お互いに傷つけ合うような関係でした。

 

その方を手放し続けた先に感じたことを、当時の自分がずっと知りたかったことについて、今日は書いていこうと思います。

 

これは、数年前のことです。

 

それまでのわたしは、多少の困難はありながらも仕事も恋愛も順調で、今後もこんな人生を送っていくのかなあと思っていました。

そんな時期に出会ったのが、彼でした。

 

彼の第一印象は、正直全く良くはありませんでした。

彼に対して最初から苦手意識があって、この人とは絶対に仲良くならないだろうなと思っていました。

 

でも、その後、いろんな偶然が重なって一緒にいる機会が増え、気がついたら意気投合していました。

彼と時間を共有したり、いろんな話をするようになり、いつからかアプローチを受けるようになりました。

 

わたしの生活が変化したのは、その頃からでした。

 

彼と近い距離で関わるようになってから、今まで隠してきた孤独、劣等感、無価値感、罪悪感といった、認めたくも感じたくもない感情をかきたてるようなことが、次々と起こるようになりました。

 

仕事では、それまで順調だと思っていたものが急に「できない」「わからない」という状態になりました。

できないのは努力が足りないからだと人一倍努力をするようになりましたが、それでも状況は一向に好転しませんでした。

 

「できない自分には価値がない」

ずっと隠してきたそんな思いが、ふつふつと湧いて出てくるようになりました。

 

わたしはそれまで、自分の価値を作るのは他人の評価だと思っていました。

だからこそ、他人の評価を得られない自分は存在する価値がないんだと思うようになりました。

 

そして、ずっと、わたしが働く意味は会社や上司に貢献するためであり、そこに自分の存在意義があるんだと思っていました。

だからこそ、会社に貢献できない自分には居場所も与えられないし、存在意義がないんだと感じるようにもなりました。

 

仕事を通して、ずっと避けて見ないようにしてきた無価値感や劣等感を、嫌というほど感じるようになっていきました。

 

恋愛についても、それまで感じずに済んでいた嫌な感情をかきたてるような出来事が、立て続けに起こるようになっていきました。

自分でもこんなにコントロールの効かない心情になったのは、初めてでした。

 

それまでずっと隠してきた孤独や無価値感が溢れてきて、一日中不安や恐怖心が襲いかかってくるようになり、それに飲み込まれてしまうようになりました。

 

感じたことのないくらい強い不安や恐怖心から、自分でも嫌になってしまうほど、相手への執着心や独占欲を抱くようにもなりました。

頭では嫌だとわかっているのに、感情に飲み込まれてコントロールできない自分自身に対して「何をやってるんだ」と自己嫌悪に陥り、更に自分のことが大嫌いになっていきました。

 

そして何より耐え難かったのは、彼が父を彷彿とさせるような人間だったということでした。

それまで思い出さずに済んでいた父の大嫌いな部分を、彼を通して嫌というほど思い知らされました。

 

自分の見たくなかった感情が嫌というほど出てきて、大嫌いだった父のことも嫌というほど見せつけられ、仕事もプライベートもうまくいかず、そんな日々にもがきながら一生懸命走り続けていたある日、突然、頑張ることができなくなってしまいました。

燃え尽きてしまったんだと思います。

 

頑張ることしか知らなかったわたしが、頑張れなくなった自分を見たとき、不甲斐なさを感じました。

なんでこんなに弱いんだろうと思いました。

どうしようもなく、辛くなりました。

 

どうしてこんなにも苦しい思いをしなければならないんだろう。

どうしてこんなに辛いことばかりが起こるのだろう。

一生懸命頑張ってきただけなのに。

何がいけなかったんだろう。

自分の人生を恨めしく感じ、そんなふうに思いながら一人泣く日々が続きました。

 

毎日最低限の仕事をこなしながら過ごしていく中で、次第に、「どうしてこの人とはこんなにも辛い関係でしかいられないのだろう」と、不思議にも思うようになりました。

 

そう思ってしまうくらい見事に、わたしが見たくなかった感情をピンポイントに見せ続けた存在でした。

そして、さらに驚くことに、彼にとっては私も同じような存在だったのです。

 

私たちはお互いに、関われば関わるほど傷つけ合ってしまうような存在でした。

今まで、ずっと隠してきた無価値感、劣等感、孤独をこれでもかというほど刺激し合うような関係でした。

 

それでも、わたしの彼に対する気持ちがなくなったわけではありませんでした。

だからこそ、この辛い状況、辛い関係をどうにかしたいと、彼を手放すことを心に決めました。

 

でも、もう一人では頑張れず、誰にも相談できなかったわたしは、ふと、カウンセリングを受けてみようかなという気持ちになりました。

ネットで検索して、近くの日にちで予約をとれるところを探して、藁をもすがる思いでいきました。

 

自分の人生で、その日が大きな転機となりました。

 

そのカウンセラーさんは、本当に親身になって、どんな感情も否定せず、わたしの話を聴き続けてくれました。

 

ある程度話を聞いたあと、わたしの家族について聞かれました。

わたしは仕事や彼のことを話しているのに、どうして家族のことを聞くんだろうと思いました。

 

「いろいろありましたが、もう過去のことだし、そんなこともあったなあという感じです。恵まれてるとも思うし、今となっては思い出の一つです。」

そんなことを言った覚えがあります。

 

インナーチャイルドは知っていますか?」

 

聞いたことはあるけど、よく知らない言葉でした。一度やってみませんか?という言葉を受けて、インナーチャイルドのワークをやってみることになりました。

 

今の自分につながるシーンをイメージしてくださいと言われた時、小学生の自分と両親のイメージがでてきました。

そして、そこからワークが進むにつれて、自分でも驚くほど大きな、父に対する怒りや悲しみが湧いて出てきました。

 

わたしはこんなに、怒っていたのか。

自然と涙が溢れて、止まりませんでした。

 

イメージの中で、父にありったけの感情をぶつけてみてください。と言われて、抵抗がありながらも怒りの感情をぶつけ始めたら、次から次へと怒りが溢れてきて、出しても出しても止まりませんでした。

 

ある程度落ち着いた時、「最後にお父さんをどうしたいですか?」と聞かれて、もう2度と会わなくて済むように、足枷つけて片道切符で離島にある牢獄に送りたいと思いました。(怖いですね)

それくらい、怒っていたんだと思います。

むしろ、それでもおさまらないくらい大きな怒りを抱えていた自分にも、驚いていました。

 

最後にお父さんに伝えたいことはありますか?

 

そう言われた時、牢獄に行く父に対して、ふざけるなという怒りと共に、

「本当は、また戻ってきて欲しい。また戻ってきて、家族みんなで笑顔で過ごしたい。」

そんな切実な気持ちもあることに気がついて、それを伝えながら涙がでてきました。

 

自分の中に、強烈なほどの父への怒りと、その根底にある愛を、同時に感じた瞬間でした。

 

そんな風にして、初めてのカウンセリングが終わりました。

その日は疲れてしまって帰宅してからは就寝しましたが、その翌日から変化を感じ始めました。

 

当時は、あまりに辛くて、どこにいても何をしていても涙が出てきてしまって、何も手につかない状態だったのが、

翌日からはどこかスッキリとした感覚になり、今に意識を保てるようになり、涙が溢れてくることがなくなりました。

 

自分の中の確かな変化に驚きながら、自分が向き合うべきだったのは彼ではなく、ここだったのかと思いました。

彼を手放したいという気持ちを持ちながらも、そこからは自分自身と向き合うようになりました。

 

すると、時間はかかりながらも、じわじわと身のまわりに変化が起きるようになりました。

 

努力しない自分には価値がないという考えが薄れていきました。

周りからの評価が自分の価値ではないんだと思えるようになりました。

やらなくていいことは無理にやらないでいられるようになりました。

 

次第に、自分が本当にやりたいことはなんだろうと、考えるようにもなりました。

 

それまでは、暇な時間は研鑽を積むためのもので、自分の娯楽ために過ごすなんて概念がありませんでした。

だからこそ、初めのうちは今自分が何を食べたいのかすらわからないことに気がつきました。

 

愕然としました。

周りのことはあんなにも見てきたのに、自分のことはまったく見てこなかったんだということを痛いほど感じました。

 

そんな風に自分と向き合っていく中で、

犬猿の仲だった上司が優しい言葉をかけてくれるようになりました。

無理に頑張らなくなり、仕事にかける時間は前よりも減ったのに、周りから評価されるようになりました。

家族のことも、怒りを感じる時期や疎遠になった時期を経て、両親のことを理解できるようになり、言いたいことを素直に言えるようにもなりました。

 

そんな風にいろんなことがうまくいくようになっていっても、彼のことはまだ手放せてはいませんでした。

 

彼を手放すことをイメージしたとき、彼とのつながりが切れてしまうような感じがして、すごく孤独で、寂しいような気持ちになりました。

 

わたしの中で手放しとは「彼とのつながりが消えてしまうもの」という感覚があり、手放したい反面、どこかで手放したくない自分もいたんだと思います。

 

だからか、その後はほぼ平衡状態でした。

以前よりも思い出す回数は減っていましたが、時々ふと思い出しては大きな執着心が顔を覗かせてきて、まだ彼との関係が自分の中では苦しいもののままなんだと落ち込みながら、自分の欲や執着心などの感情たちと向き合い続けていました。

 

そんな風に過ごしていたある日のこと。

突然、彼から連絡があったことをきっかけに、自分の中でまだ残っていたいろんな感情が、また一気にわっと騒ぎ始めました。

 

当時の気持ちを鮮明に思い出して辛くなってしまい、心が乱されて、まだこんなにも感情が残っていたのかと思いました。

こんなにも時間をかけて向き合ってきたのに、もう嫌だ。

もう手放しなんてないのかもしれないと、絶望にも似た気持ちで、出てきた感情をただただぼんやりと眺めていました。

 

そうやって過ごしていたとき。

今でも覚えていますが、本当に突然、ふと、何かが抜けたような感覚になり、急に心が楽になった感じがしました。

 

それまで感じていた彼への強い欲や執着心が、すっと消えていったような感覚があり、

その後に残っていた感情は、孤独や寂しさではなく、彼への深くて揺るぎない想いでした。

 

彼のことが大好きな気持ちは残ったまま、彼の幸せを心から願い、彼が幸せになれるのなら、その隣にいるのはわたしじゃなくていいと思えるようになりました。

 

そして、わたしはずっと彼のことを「助けてあげたい」と思い続けていましたが、

彼は弱い人でも、助けてあげないといけない人でもなかったんだということにも気がつきました。

彼は自分で幸せになる力を持つ、強い人でした。

 

「彼ならきっと、大丈夫。」

 

そんな風に、彼自身のことを信頼できるようになりました。

だからこそ、たとえ近くでなくても、彼のことを心から応援していたいと思いました。

 

「手放し」というと、相手とのつながりが切れてしまうような感じがして、

すごく寂しくて、また孤独になってしまうような、そんなイメージがありました。

 

でも、「手放し」とは、相手ともう一度つながり直すことなのかもしれません。

それは、より自由で、深くて、静かだけど揺るがない強さをもつ。

自分も相手も尊重した上で、相手への信頼と想いをのせるものなのかもしれないなと思いました。

 

今日は、過去の辛かった自分がずっと知りたかったことについて、書きました。

 

そしてこれは、今も手放し続けている自分へのエールでもあり、どこかで同じ思いをして過ごしている方へのエールでもあります。

 

手放した先にあるもの。

それは、自分が想像していたよりも深いところでのつながりなのかもしれないな、と思いました。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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