愛に生きる。

事実は変えられないけど、真実は変えられる

 

こんにちは。

心理カウンセラーとして勉強中のみらいです。

 

根本さんから教えてもらったことの1つに、

"「事実」は変えられないけど、「真実」はかえられる "

という言葉があります。

 

これは、大切なのは出来事ではなくそれに対する「感情」であり、それを癒していくことで事実に対する視点も変わり、幸せな道を歩むことができるようになるのだそうです。

 

だから、起きた出来事は変えられないけど、それに対する「感情」は変えられる、ということでした。

 

とても素敵な言葉だなと思いました。

 

今日は、自分の経験のなかで、「事実は変えられないけど真実は変えられた」ものがあったので、それについてお話ししようと思います。

 

 

わたしの幼少期についてのお話です。

 

物心ついた頃から、家族の中での一番の問題は父の女性問題だったように思います。

父の不貞がバレては、両親の怒鳴り合いの喧嘩がはじまり、わたしたち子供は家中のどこにも逃げ場がなく、いつも1番遠い自分たちの子供部屋に逃げて隠れていました。

 

でも、怒号は家中に響き渡り、布団を被って耳を塞いでも聞こえてくる言葉の数々に、弟は泣きじゃくり、その光景をみながら、生き地獄だと思うようになりました。

 

1日中両親の怒鳴り声を聞くストレス

ねえ、ごはんは?

今日、みんなで遊びに行くっていってたよね?

 

一度喧嘩が始まれば、2人の目には子供たちの姿はうつりませんでした。

喧嘩の間はごはんもなく、深夜に夕食を食べることもしばしば。食べても親は幸せそうじゃないし、何も楽しくも美味しくもありませんでした。

 

遊びに行く予定だって、もちろん全部キャンセルでした。

直前まで、今日のお出かけ楽しみだなと思ってワクワクしていたのに、急に喧嘩が始まっていけなくなることもしばしばありました。

 

そして何よりも、大好きなお父さんが、、というショックと、両親が喧嘩するのがたまらなく悲しくて。

お父さん、お願いだからもうやめて。

もう裏切らないで。

と何度も心の中で思っては泣いていました。

 

でも、やめなかった。

またか。

ああ、またか、、。

 

あまりに繰り返されるうちに、次第に涙も出てこなくなりました。

そして、期待もしなくなりました。

 

そしていつからか、世の中の男性に対しても、どうせ浮気するんでしょ、嘘をつくんでしょ、大切にしないんでしょ。

そう思うようになりました。

 

そう思い込んで自分の心を閉ざすことで、これ以上傷つかないように、自分を守ってきたんだと思います。

 

 

母とわたしは、癒着の関係でした。

 

母は家族愛のとても強い人で、母なりに精一杯愛してくれていました。

それがわかるからこそ、過干渉だったり、理不尽な見返りを求められた時に、母に対して自分の本心をぶつけることができませんでした。

 

兄弟や他の家の子と比較されたときは、わたしが良い子じゃないから、わたしが頑張れてないから悪いんだと思いました。

 

やりたくないお願いを断ろうとすると薄情だと思われるので、わたしが薄情なのがダメなんだと思い、お願いされたことについてはNOということができなくなっていきました。

 

次第に、母から愛されるためには良い子でいなきゃいけない、頑張らなきゃいけないと思い、

ダメなわたし、良い子じゃないわたしのことはきっと愛してくれないと思うようになりました。

 

そして、それと同時に、父と離婚しない母親に怒りを感じるようにもなりました。

子供ながらに、母にはずっと笑顔でいて欲しかったんだと思います。

 

もう、早く離婚して、お母さんと子供だけで幸せに暮らそうよ。

わたしたちが幸せにするよ。

わたしたちがいればお母さんは幸せでしょ?

 

でも、どんなに裏切られても、傷つけられても、絶対に別れることはありませんでした。

 

どうして、また繰り返すとわかっているのに離れないの?

どうして私たちだけじゃダメなの?

 

離婚しない母を見ていると、

子供たちだけでは幸せを感じられないと言われているようで、母の幸せには父が必要だと言われているようで、

子供ながらに大きな無力感と無価値感を感じるようになりました。

 

そして、その感情の裏返しなのか、いつしか母のことを、"父に依存する弱い女性"だと思うようにもなりました。

 

わたしは絶対、母みたいにはならない。

自分は強い女性になるんだと心に決めて、生きてきました。

 

そんなふうに感じながら、幼少期を過ごしていきました。

 

 

成長して大人になってからは、

両親のことも客観的に見れるようになり、

程よい距離感にもなり、

もう自分の中では全て過去のことになっていました。

 

いろんなことがあったけど、今となっては良い思い出だなあ。

それくらいに思って過ごしていました。

 

でもそれが、そうではなかったと気づいたのが、カウンセラーさんと出会ってインナーチャイルドを知った時でした。

https://amawave.hatenablog.com/entry/2023/10/11/003641

 

まさか、と衝撃でした。

自分の中で解決したと思っていたものは、ただ蓋をして、過去の自分を過去のものとして見ないようにしてきただけでした。

 

 

そして、インナーチャイルドに向き合うようになってからは、両親への怒り、悲しさ、寂しさがどんどん湧き上がって溢れてきました。

 

ノートに書いたり、毎日泣いたりして、時間の許す限り感情を感じていきました。

 

でも、なくならない。

 

何ヶ月も何ヶ月も、向き合い続けました。

でも、まだまだ悲しい。

まだまだなくならない。

次第に、両親への恨みがでてきました。

 

こんな両親のもとに生まれなければ、わたしはこんなに苦しい思いをしなくてすんだのに。

どうしてこんな親のもとに生まれてきてしまったんだろう。

 

久しぶりに、家族のことが大嫌いになりました。

次第に、実家にも帰らなくなりました。

 

両親が嫌いになり、家族が嫌いになり、そこに生まれた自分も嫌いになりました。

 

 

そうやって、嫌な感情も含めて感じながら日々過ごしていたとき、今でも忘れられない日がきました。

 

 

それは、その年のわたしの誕生日でした。

 

 

パートナーもおらず、かといって友人と過ごす気にもなれず、1人でいるのも虚しく、その時の色んな感情があって、久しぶりに連絡して実家で過ごすこととなりました。

 

当日は父は仕事だったため、母と兄弟と過ごすことになりました。

 

毎日感情を感じながらも、なくならないその感情に、もうどうしたらいいのか、わからなくなっていたときだったと思います。

 

当日会った私は、どこか疲れ切った顔をしていたんだと思います。

「疲れてるんじゃない?大丈夫?」

母親にそう言われながら、行きたいと思って予約してくれていたレストランにいきました。

 

すごくおしゃれで美味しいレストラン

母と兄弟とはおめでとうの乾杯のワインを、

参加できていない父からは「お誕生日おめでとう!写真、ぜひのせてね。」とメッセージがきました。

 

幸せなはずなのに、愛されてるはずなのに。

そのはずなのに、受け取れない。

 

心には重くのしかかる苦しさがありました。

普段の辛い感情に加えて、愛を受け取れないことへの罪悪感も混ざりました。

 

何とも言えない気持ちが込み上げてきて、もうどうしようもなくなってしまって、涙が溢れてきました。

 

嬉しいはずなのに、幸せな空間のはずなのに。

 

母も兄弟も、心配していたと思います。

 

そして、食事を終えて家に帰った後、

溢れてきた感情を抑えきれなくなり、母親にすべてを話しました。

 

本当は嫌だった

本当は辛かった

本当はしんどかった

ずっと伝えたかったけど、伝えれなかった

ほんとは、もうがんばれない

 

全て全て、話しました。

逆に言えば、今まで本当の気持ちは、ほとんど話せていなかったんだと思います。

 

母は「ごめんね」といって、ずっと話を聞いてくれました。

 

そして、父にもちゃんと伝えた方がいいと言われ、父が帰宅した後に2人で話す時間を作ってくれました。

 

生まれてはじめて父と向き合って話をしました。

 

ほんとに嫌だった

どうしようもなく辛かった

でも、子供がそんな思いしてるなんて、考えてもいなかったんでしょ?

今もどんな思いをしているかなんて、知らないでしょ?

 

涙が溢れて止まりませんでした。

父は黙って聞きながら「弱い人間だった、ごめんね」と言いました。

 

それでも、溢れてきた怒りが収まりきらず、もうたまらなくなって、実家をでていきました。

 

帰りの道中、ずっと泣いていました。

家についてからも、ずっと泣いていました。

 

やっぱり辛くてしんどかった気持ちと、

誕生日に感じた愛を受け取れなかった罪悪感と、

でも、やっぱり許せない気持ちと、

全ての気持ちがぐちゃぐちゃになって、わっと涙に変わって溢れてきました。

 

 

その後、両親から電話が来ました。

 

 

「いま、そっちに向かってるよ。もう一度ちゃんと話そう」

 

 

出て行ったわたしを、追いかけてきてくれました。

 

そして、もう一度私の家に招いて、話をすることになりました。

 

本当に悪かったと思ってる。

弱い人間だったと思ってる。

 

そう、父の口から聞きました。

こうやって追いかけてきてくれて、話そうとしたくれた両親の思いを感じ、わたしも自分の気持ちから逃げずに、嘘偽りのない気持ちをもう一度伝えました。

 

本当に辛かった

今でも、許せない気持ちがある

この家族で生まれてこなければって何度も思った

 

お互いに、伝えるだけ気持ちを伝えた後、母に言われました。

 

「許さなくていいよ。」

 

それだけのことをしてきたんだから、許そうとしなくていい。嫌いなら、嫌いなままでいいよ。

 

そう言い残して、両親は帰っていきました。

 

 

両親が帰った後、わたしはまたひとしきり泣きました。

今度は、辛いし苦しいししんどいけど、どこか優しさやあたたかさを感じるような、辛さでした。

 

両親からもらった誕生日プレゼントをあけながら、

本当は、やっぱり両親のことが大好きなんだ

ということも感じていました。

 

話を聞いてくれたのも、追いかけてきてくれたのも、向き合ってくれたのも、許さなくていいよと言ってくれたのも、愛だと思いました。

 

だからこそ、わたしはもう一度、ちゃんと自分の気持ちと向き合おうと決めました。

 

また両親のことを心から大好きになれるように、両親の愛を受け取れるように、自分の気持ちに蓋をせず、大切にすることを決めました。

 

そこからまた、何ヶ月も何ヶ月も、向き合い続けました。

 

無理に許そうとせず、許せないなら許せない気持ちを大切にしました。

嫌なら嫌と言う気持ちを抱きしめました。

 

過去の自分の、抑えていた感情をひとしきり、何度も何度も感じ続けては出していきました。

 

 

すると、ある日ふと、

「そういえば、父がしたいこと、食べたいものを優先してあげたことはあっただろうか」

と思いました。

 

思い返せば、父はいつも家族を優先していました。

子供や母の意見を優先して、父が行きたいところに行ったり、食べたいものを食べに行った記憶がありませんでした。

 

父は本当は旅行もお酒も大好きなんだと思います。でも、それをしたいと言って、しに行ったことはありませんでした。

 

たまに仕事の愚痴は聞くにしても、他のことについての父の愚痴を聞いたことはほとんどありませんでした。

 

父は、ちゃんと本音を言えていたのだろうか。

父は、ちゃんと居場所があったのだろうか。

父は、本当はしたいことがたくさんあったんじゃないだろうか。

 

父について、わたしは何も知らないと思いました。

そして、心理学を学んでいくにつれて、仕方なかったことなのかもしれないなと思うようになりました。

 

当時の父にとっては、必要な居場所だったのかもしれない。

それがなければ、父はああやって父としていられなかったのかもしれない。

父も1人の人間で、父にしかない人生があって。自分を守ろうと、必死だったのかもしれません。

 

そっか、そうだったのか。

 

久しぶりに、父にLINEをしました。

「もう、お父さんのこと許してあげられると思うよ。」

ぶっきらぼうな言い方しかできなかったですが、それでもその時の自分にとっては精一杯の言葉でした。

 

 

そして、母との関係も変化していきました。

 

母とわたしの関係も、親子から1人の女性同士の関係となりました。

お互いの意見を尊重して、お互いの自由を尊重するようになりました。

 

そして、本当に最近なのですが、お弟子さん制度の宿題で「家族との関係を振り返って気づきをまとめること」というのが出ました。

 

そこで、母とのことについて振り返っていたときに、あれ?と感じることがありました。

 

母は、本当に父だけに依存していたのだろうか。

 

母は、子供たちが自立したり、反抗して家族とのつながりがなくなろうとすることにも、すごく執着していたように思います。

 

もしかしたら、母は自分の居場所を守るために、必死に頑張っていたのかもしれないな。

母が守りたかったのは、「家族」という居場所だったのかもしれないな、と思いました。

 

 

母は実家との折り合いが悪く、何十年も疎遠な状態だったときいています。

母の生まれた境遇からも、おそらく母は実家に居場所がなく、父と出会って築き上げたこの家族が初めての居場所だったんだと思います。

 

だからこそ、自分がどれだけ傷ついても、辛い思いをしても、みんなに向き合い続け、どうしてもこの家族だけは、守り抜きたかったのかもしれないなと思いました。

 

そう思うと、いろいろな母の行動が腑に落ちてくるようになりました。

そして、誰かに依存して弱いと思っていた母は、本当はものすごく強くて、頑張り屋さんで、芯のしっかりした女性なんだと思いました。

 

わたしが愛の道を探して歩いているように、母には母の愛の道を、必死に探して歩いていたんだと思います。

 

なーんだ。わたし、ちゃんとお母さんの娘だったんだ。

 

自分の強さや頑張りやなところは、母譲りであることに気がつきました。

 

母のことを、1人の女性として尊敬できるようになりました。

 

そして、そんな母譲りな強さを持つ自分も、大好きになりました。

 

 

 

こんなふうに、時間をかけてではありますが、

今では2人の子供に生まれて、この家族に生まれて良かったと思えるようになりました。

 

この家族に生まれたからこそ、知れた愛の道がある。

この家族に生まれたからこそ、感じれた大きな愛がある。

 

今はそう感じています。

 

 

そして、

多分、本当は、最初から全部許していたんだと思います。

大好きな2人だったからこそ、全部許したいと思っていたんだと思います。

 

だけど、それには、自分の気持ちをちゃんと感じてあげるプロセスが必要でした。

 

ずっとそこを見ないように蓋をして、飛ばしていたからこそ、許そうと思っても許せず、愛を受け取ろうと思っても受け取れなかったのかもしれないなと思います。

 

事実は変えられないけど、真実は変えられる

 

そこまでのプロセスは簡単なものではないけれど、変えた後の真実は、その事実よりも遥かに大きなものをもたらしてくれるような気がしています。

 

 

本当は別の記事を書いて投稿しようと思っていましたが、書き上げたところでふと、このことを思い出して書き直しました。

 

今の自分にとって、大切なことだったんだと思います。

この家族に生まれてよかったと、改めて感じた日でした。

 

写真は、その誕生日のときに撮ったけどお父さんに送れなかった料理の写真です。

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