こんばんは。
心理カウンセラーとして勉強中のみらいです。
今日は、今までずっと誰にもお話しできなかった過去の自分について、お話をしようと思います。
いじめに関するお話なので、苦手な方や嫌な思いをしてしまうかもしれない方は、そっと閉じていただければと思います。
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わたしは小学生の頃、いじめにあって一年間学校に行かなかったことがあります。
仲の良かった子から悪口を言われたり、無視されたり。友達がわたしの悪口を言ってたよと他の子から聞くこともありました。
何か大きなきっかけがあったわけではなく、徐々に、でも確実に友達との関係が変わっていくのを目の当たりにしました。誰かが始めたいじめの空気感が、関係ない人たちにまで広がっていくのを感じました。
今となってはその頃のことはよく覚えていませんが、誰にも言えず、孤独で、ずっと嫌な気持ちで過ごしていたように思います。
毎日毎日、楽しくない。どこにいても居場所がない。
そんな日が続いたある日の学校帰り、
「もう学校に行きたくない」
そう、初めて母親に言いました。きっと、我慢の限界だったんだと思います。
急に学校に行きたくないと言いだしたことと、その理由がいじめだということに、母はすごく驚いていました。
狼狽ている母の姿を見て、そんなに大事だったのかと、その時初めて気がつきました。
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当時、学校に行かないという選択はかなり目立つ行動でした。
でも、母はたくさん調べてくれて、アメリカではホームスクールという選択肢があるんだよという話をしてくれました。
「世界にはおうちで勉強することを選ぶ子もいるんだから、あなたも行きたくないなら行かなくていいよ」と、その時のわたしの意思を尊重してくれた母には今でも感謝の気持ちしかありません。
そこから、毎日少しの時間は学校にいきながら、大方は家で勉強をするようになりました。
そして、自然とのつながりが感じられるように、四季折々の場所に連れ出してくれました。秋には栗拾いをしたり、紅葉を見にいったり。ちょうどこの頃から習いたかった絵も習わせてくれて、田舎の山奥にひっそりと立つ小屋の中で、大人達に囲まれながら絵を描いていた時間は、自分にとってはとても良い経験でした。
もちろん、楽しいことばかりではありませんでした。
遊びに来た知り合いから母が、「弱いお子さんなのね」と言われてものすごく悔しい気持ちになりましたし、なんでそんなこと言われなきゃいけないんだと、行き場のない怒りを感じながらも、そう言われてしまった自分の存在自体も悲しくて、悔しいなと感じていました。
そして、改めていじめについて省みる時間をとりながら、それまで蓋をしていた、さみしかった、辛かった、悔しかったと言う感情をようやく感じられるようになってきて、たくさん怒りを感じ、たくさん泣きました。
そして次第に「勉強を頑張って絶対に見返してやる」と、それまで頑張ってきた勉強が、自分にとってはいじめてきた人たちを見返すための道具となっていきました。
この頃から勉強は、楽しいものというよりも自分を守るための剣でもあり盾でもあり、自分が持てる唯一の武器に変わっていったような気がします。
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新学年になって、クラス替えと共に復学することとなりました。
学校生活を再スタートさせたわたしは新しいクラスに馴染みつつ、進学塾にも通うこととなりました。
いろんな思いから更に勉強に打ち込むようにもなり、自然とお受験コースに入ることとなり、その地区で一番の学校を目指すようになりました。
この頃から友達と遊ぶのもやめて、毎日ひたすら勉強するようになりました。
最初のうちは、その環境がすごく楽しかったです。
同年代で同じように切磋琢磨する仲間がいて、日々新しい知識を与えてくれる先生達がいて。そんな環境を与えてくれる塾がすごく新鮮で楽しくて、ようやく自分の居場所に出会えたような気がしていました。
でも、自分がいたのは比較競争の社会。
楽しい時間はそう長くは続きませんでした。
次第に、できない、わからない。
周りとも、以前の自分とも比べられて。
できない自分はダメ、成績が下がればダメ。
周りから怒られることが増えて、自分でも自分を責めることが増えて、次第に苦しくなっていきました。
だんだん空回りするようになり、成績も不安定になってきて、そんな自分を更に責めました。
周りの友達は楽しそうに遊んでいるのに、自分は毎日塾と勉強で遊びに行けない。
次第に周りが羨ましいと思うようになり、自分のいる環境が苦しくなってきました。
褒められることもなくなって、楽しさも感じなくなって。もうやめたい。もう頑張れないし、頑張りたくないと、心の中ではずっと思っていました。
でも、周りはわたしが掲げた夢を叶えるためにサポートしてくれていて、それが愛情だということもわかっていたからこそ、やめたいとか、もう頑張れないとか、そんなことは言えませんでした。
みんなのためにも前を向いて頑張り続けることが、今自分がやるべきことなんだと信じて、やり続けました。
そしてこの頃から、自分の怒りの感情がコントロールできなくなっていたように思います。
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その頃の小学校でのわたしの立ち位置は、女の子のグループのリーダーでした。
その頃はいろんなことが目につくようになり、気に入らないことがあると同じグループの子にも当たるようになりました。
自分でも、なんでこんなにも怒りが我慢できないんだと思いましたが、どうしたらいいかもわからず、怒りを怒りのまま、出していました。
そして、いつの頃からか、クラスの子をいじめるようになりました。
何かきっかけがあったわけでも、すごく仲が悪かったわけでもありません。どうしてなのか、自分でもわかりませんでした。
そして、同じグループの子達もそれに同調するようになりました。
何が自分を突き動かしていたのか、わかりませんでした。でも、当時はそんな自分を止めることができませんでした。
でも、ある日を境に、本当に急に、パタっといじめることも周りに当たることもなくなりました。
自分でもどうしてやめられたのか、わかりませんでした。何かに突き動かされていた衝動がパッとなくなって、急に立ち止まったような感覚でした。
でも、それと同時に、今度は
「自分はなんてことをしてしまったんだ」
というとてつもなく大きな罪悪感にかられるようになりました。
そこから、毎日、部屋にこもっては「ごめんなさい、ごめんなさい」と隠れて泣いていました。
その子が何をしたって言うのか。
同じグループの子が何をしたって言うのか。
そう問いかけては自分を責め続けました。
そして、なによりも、
いじめられる辛さを知ってるわたしが、どうしていじめなんてしてしまったんだ。
そのことが、自分の中で最大の罪悪感を生みました。
そして、その日から、懺悔と後悔の気持ちで過ごすようになりました。
許して欲しい気持ちもありながらも、こんなわたしは許されなくていいという気持ちも強くありました。
そして、自分自身も、そんな自分を決して許さない。と、強く心に決めました。
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自分の人生が大きく変わったのはいつですか。と聞かれたら、わたしは2年前と答えます。
でも、自分の性格が大きく変わったのはいつですか。と聞かれたら、わたしは小学生と答えるだろうなと思います。
中学生になってからのわたしは180度、真逆の人間になりました。
小学生の頃の私は、目立つタイプで、自分の意見を言ったり、授業中も積極的に発言するタイプでした。
女の子のグループの中心にいて、みんなで遊んだり、恋を謳歌したり、活発で、女の子というものを思う存分楽しんでいたように思います。
中学生になってからのわたしは、
群れなくなり、つるまなくなりました。
女の子のグループに嫌悪感を抱くようになり、友達と遊ぶのもあまり楽しいと思えなくなりました。極力目立たないように、自分の意見を抑えるようになりました。恋愛も積極的にいかなくなりました。平穏で穏やかな時間が過ごせたらいい。そう思うようになりました。
そして、同調や流される雰囲気を嫌うようになりました。
自分にとってはこれは「小学生の頃の自分への罰」でした。
あの頃の自分を許さず、なかったものにしたいという気持ちから、その頃の自分の要素を嫌って抑えるようになったんだと思います。
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そして、それから年月は流れ、過去のことは何かきっかけがない限り頭に浮かんでくることはなくなりました。
そんな中で、初回のお弟子講座で同期と実習をしていた時に、ふとその時の自分のことを思い出す機会があり、話をしました。
「でも、ダメなことだし、許せないんですよね。どう頑張っても、許すとか、無理なんです。」
そんな風に言いながら実習を進めていると、
「じゃあ、カウンセラーのみらいさんとしてその子に声をかけてあげるなら、何て言ってあげたいですか?」と言われました。
なんて声をかけてあげたいかなあと思いその時の自分を想像した時、
「もう、限界でした」と、小学生の自分が謝りながらずっと泣いてるイメージが浮かんできて、その場で思わず泣いてしまいました。
何が限界だったのかは、わかりません。
あの時の自分の気持ちが限界だったのか、
その後罰を受け続けてることが限界だったのか。
もしかしたら、その両方なのかもしれません。
その時、自分にとってとても大きなものに蓋をして、目を逸らしてるように思いました。
そして、向き合わなければいけないときが来たのかもしれないと思いました。
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そして先日、「黒歴史」をテーマにお弟子同士でセッションをするという課題が出ました。
なんとなく、小学生の頃の自分の話をしてみようかなと思いました。
もうずっと、誰にも話すことはないと思っていた内容。それを初めて、あの頃の思い出せる全てを話しました。
話しながら、途中で涙がとまりませんでした。
あの時の自分が許せない自分。
あの時の自分を隠していたい自分。
あの時の自分を責めなければいけないという思いから逃れられない自分。
罪悪感の目から逃れるために、自分を責め続けることしかできなかった自分。
洗いざらい全てを話しました。
誰かに言われなくても、自分がダメだということは一番よくわかっているからこそ、もう誰にも自分を罰させないくらい、十分に自分で自分を罰し続けてきたんだと思います。
きっと、ずっと自分を許さないことで、どうか許してくださいと、そう思っていたのかもしれません。
その課題の中で、目を逸らしてきた小学生の頃の自分と初めて向き合いました。そして初めて、怖さも、弱さも、罪悪感も、全てを感じました。
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わたしは、いじめられた小学生の自分とは、何年も何年も、時間をかけて自分と向き合い、感情を感じて、自分のために泣いて、理解してきました。
でも、いじめた小学生の自分については、決して許さず、目を逸らして、ひたすら罰して、存在する価値なんてないと悪口を言い続け、無視し続けました。
そうやって今度は、自分が自分を、何十年もかけていじめ続けてきたことに、気がつきました。
とても大きな恐怖を感じながらも、「もう、許してあげたい」とそんな気持ちも心のどこかで感じていました。
隠したかった、許せなかった自分も確かに存在して。でも、それも含めて自分でした。
もう、目を逸らして罰し続けるのではなく、その声に耳を傾けたいなと思いました。
そして、それができるのは、他の誰でもなく、わたししかいないんだと思いました。
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このお話は、出さなくてもいいお話でした。
書かずにしまっておくこともできました。
でも今回、この内容を書こうと思えたきっかけは、同期の子の言葉でした。
この話をする中で、罪悪感と恐怖から泣いてしまったわたしに、
「怖くなったり、迷ったりしたら言ってね。そのときみんなで考えよう。1人じゃないよ、みんなが一緒なんだから。だから、大丈夫だよ。」
と、同期の子が言ってくれました。
その言葉を聞いた時、わたしは今でも、ずっと1人だと思っていたんだなと気づいて、さらに泣きました。
どんな罰も全て1人で受け止めて、1人で抱えていかなければいけないのだと思い込んでいました。
わたしは1人じゃないんだと、改めてそう思わせてくれました。
そして、その他にもたくさんのあたたかい言葉をくれて、今までずっと怖くて見ないようにしてきたものに、わたしの手をとって一緒に伴走しながら、怖さを取りながら、そこに向き合う勇気をくれました。
そうして、はじめてわたしは、ここに向き合う勇気が持てました。
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自分の恐怖や罪悪感を通して、
きっと、世の中には、それがどんな分野であれ、どんな大きさであれ、同じように過去の自分を「罰せられるべき自分」だと思い、隠しながら、今でもそんな自分を許せず罰し続けている方はきっといるんだろうなと思いました。
そして、自分はそんな方々に、同期の子がしてくれたように、大丈夫だよと手を差し伸べて、一緒に伴走しながら、怖さを取り除いて、そこを見に行く勇気を持てるようサポートしたいと思いました。
ずっとずっと、許せなかった自分。
許されるべきではないと心のどこかで思い続け、ただひたすら罰し続けてきた自分。
そこに向き合うのは、とても大きな恐怖と、覚悟がいります。
だからこそ、1人で頑張るのではなく、周りに頼りながら向き合っていこうと思いますし、向き合い続けた先にあるものを、その姿を、自分がお届けできたらいいなと思います。
長い文章で上手く言葉にできないところもありましたが、最後まで読んで下さり、ありがとうございました。