愛に生きる。

経師は遇い易く 人師は遇い難し

こんばんは。

心理カウンセラーとして勉強中のみらいです。

 

「経師」= 知識や講釈について教えてくれる人にはたくさん出会えますが、

「人師」= 本当の人の道を教え、導いてくれる人にはなかなか出会えません。

 

今日は、わたしが思う "師" について、お話ししたいと思います。

 

わたしは子供の頃から、本当にいろいろなことに興味、関心をもち、好奇心旺盛な子でした。

 

「ねえねえ、教えて!」

「なんで?どうして?」

そんなふうに、周りの大人たちに聞いていたように思います。

 

もしかしたら共感はできないかもしれませんが、子供の頃の自分自身を表すエピソードとして、覚えていることがあります。

小学校の理科の教科書に、植物を育てるのに必要なのは「太陽の光」と書いてありました。

それを読んだわたしは「じゃあ蛍光灯の光では育たないの?」と疑問に思いました。

でも、調べていくと、植物は別の光でも育つことがわかりました。

それを理解したわたしが次に考えたことは、「じゃあどうしてこの人はわざわざ ”太陽の”光と書いたのだろう。」という疑問でした。

もしあえて「太陽の光」と書いたなら、そこに筆者が伝えたかった何かしらの意図があるのかもしれない。

意図があったのかどうか自体も知りたいし、もしあったのならその理由を聞いてみたい!

そこに、この人が伝えたかった本質があるはずだ!
そんなふうに、いろいろな興味・関心が湧いてくる子でした。

 

子供の頃のわたしの興味や疑問はそれだけに尽きず、教科書に載っていること以外にも、動物、人体、自然、宇宙など。

身の回りにある、あらゆるものに対して、疑問がたくさん湧いてきました。

 

そして、それらには答えがない疑問があることも知っていました。

だからこそ、わたしが求めていたものは「明白な答え」というよりは、そんな疑問に対して「どうしてだろうね」と一緒に考えてくれて、一緒に議論してくれる、そんな場が欲しかったんだと思います。

 

ですが、そんな子供は鬱陶しがられることにも段々と気がついていきました。

怒られたり、あしらわれたり、鼻で笑われたり、相手にしてもらえなかったり。

そんなことに疑問を持たずにちゃんと勉強しろ、と言われたこともありました。

 

そんな疑問を持つことは普通ではなく、変わっていて、ズレてるんだということにも気が付いていきました。

 

わたしの疑問・質問は、いつしか聞いちゃいけないものになっていました。

相手から鬱陶しがられないために、質問するのをやめるようになりました。

みんなが疑問に思わないことを疑問に思うことはやめようと思いました。

 

そうしていくうちに、一体みんなは何に疑問をもつのかわからなくなり、

どの質問ならしていいのか、どの質問なら普通なのかがわからなくなりました。

 

わたしがこの頃読んだ「エジソン」の伝記に、すごく共感したのを覚えています。

(※所説ありますが、わたしが読んだ伝記の内容です)

エジソンは、人一倍好奇心旺盛な子供でした。

小学校に入学しても、“1+1”がどうして“2“になるのか納得できなければとことん質問するなど、問題の根本的な部分に対して疑問を持ち、教師を質問攻めにしていました。

そのため彼は、教師たちに煙たがられ「お宅のお子さんは脳が腐っている」と言われ、小学校を約3か月で退学することになりました。

これを読んだとき、少年時代のエジソンの気持ちが痛いほどわかるような気がしました。

 

彼が抱いていたのは「ただ、真実を知りたい」という気持ちだったんじゃないだろうか。

程度はあるけれど、そこにあるのは純粋な疑問で、それを理解してもらえず、頭がおかしいと煙たがられたのは、当時の彼はすごく傷ついたんじゃないだろうか。

 

伝記を読んで、小学生のわたしはそんなふうに感じていました。

 

そして次第に、自分がいる世界は、先生から教えてもらったものを”その通り”だと、効率よく要領よく覚えて知識を増やしていくことが良しとされる。

そんな世界なんだということを感じるようになり、勉強とはそういうものなんだと、いつしか諦めるようになりました。

”つまらないな” と感じるようになりました。

 

仕事についてからも、同じように疑問・質問はわいてきました。

「どうしてこうなるのか」

「どうしてこれじゃだめなのか」

「どうしてこの答えにたどり着けるのか」

起きている問題の根本的な原因を知りたいと、様々なことを考えて疑問・質問が湧いてきましたが、まともに聴いてくれる人はいませんでした。

 

この感覚、知ってるなあ。と思いました。

 

また小学生の頃と同じように、質問しなくなりました。

みんながそうと言ってるならそうなんだろう。

ただ、そうなんだと言い聞かせて覚えるだけ。

 

わたしが知りたいと思っていた問題の本質には誰も興味がなく、共感してくれる人もおらず、また、自分がおかしいんだと思いました。

また、わたしはみんなと違うところを追い求めてしまっていたんだ。

 

「問題の奥にある本質」という、自分にとっては何よりも大事なことだと思うことも、仕事をこなしていく上では周りからは必要とされないんだと感じ、

自分がずっとやりたかった望みは叶わないのかもしれないと、自分のやりたかったことを諦めた瞬間でした。

 

”なんて、つまらないんだ。”

小学生の頃に感じていた気持ちを、仕事に対しても思うようになりました。

 

そんなふうに過ごしていたある時、人生を変える出会いがありました。

 

その方は、実力も才能も兼ね備えたこの業界では有名な方でした。

その方のもとで仕事をすることとなり、色々教えていただく中で、彼が仕事に対して追い求め続けているものが、自分が追い求めていたものと同じだということに気が付きました。

彼も、問題の奥にある本質を探し、見つめにいく人でした。そこに、ものごとの真髄があると感じている人でした。

生まれてはじめて、同じものを見たいと思っている人に出会いました。

 

はじめて、わたしの疑問を聴いてくれました。

はじめて、わたしの疑問を「とても大切な視点だね」と言ってくれました。

わからないことは「わからない」と言って、一緒に調べたり議論してくれました。

 

自分の存在が許されたような気がしました。

ようやく、自分の居場所を見つけたような気がしました。

 

その方の言葉ですごく心に残っていることがあります。

知識はつけようと思えばつけられるし、調べようと思えば調べられる。そして、知識を教えてくれる人は世の中にたくさんいる。

でも、それより大切なのは、目の前の物事をどうみるかという視点や思考だと思ってる。でも、残念ながらそれについて教えてくれる人はほとんどいない。

だから、僕は君に知識を教えるつもりはないよ。でも、その代わり、物事をみる視点や考え方は、たくさん教えてあげる。

その方には、本当にたくさんの物事の見方を教えていただきました。

 

はじめて自分の質問に耳を傾けてくれたのが嬉しかったのか、自分のことを認めてくれたことが嬉しかったのか、自分が追い求めてきた答えを教えてくれたのが嬉しかったのか。なんなのかはわかりませんが、帰り道でなぜかわからないけど涙があふれてきて胸がいっぱいになりました。

 

その方は、わたしにとって初めて「この人についていきたい」「この人の下で働きたい」と思わせてくれた人であり、わたしの人生の”師”となりました。

 

話は変わりますが、お弟子講座の中でとても大好きな時間があります。

それは、根本さんがわたしたちに向けてお話してくれる講座と、お弟子の質問に答えてくれる時間です。

 

根本さんは知識を教えてくれることもありますが、基本的には物事の見方、考え方、その人らしい生き方など、そういったことを根気強く教え続けてくれている気がします。

 

お弟子からの質問コーナーでも、どんな質問や疑問に対しても、あしらったり、馬鹿にしたり、鼻でわらったり、流したりせず、一つ一つちゃんと聴いてくれます。

そしてそれは、今までのわたしにとっては当たり前の光景ではありませんでした。

だからこそ、毎回、すごいなあと思って感動しながら聞いていました。

 

そして、その回答の仕方も大好きでした。

齟齬のないように言葉を選んで、適切に表現しようとしてくれているからこそ、どの答えも納得のいくものであり、心に刺さるものであり、しっかり向き合ってくれている感じがします。

 

また、相手によって表現の仕方や言葉の選び方を変えているような気もします。

その人にとって適切な表現で、その人に届く形で紬がれた答えは、根本さんがそれまでどれほどこの世界に向き合ってきたのかがわかるようで、さすがはプロと思わせられます。

 

そんなふうに、どんな質問にも耳を傾け、考え、向き合い、適切な答えを返してくれるその光景が、そしてわからなかったときには一緒に考えてくれるその光景が、

わたしにとってはとても素敵で、とても大切なものを見ているような気持ちになります。

 

人生における二人目の”師”に、わたしは出会うことができました。

 

お二方ともわたしにとっては ”人師” であり、この人についていきたいと思わせてくれるような存在でした。

 

仕事においても心理の世界においても、”師” というものに出会うことができて、とても幸せ者だと思っています。

 

最後に、わたしの好きな「エジソン」のストーリーの続きをご紹介します。

エジソンに対する小学校の対応に不満を持った母親は、徹底的に抗議をしました。


学校側は「そんなにエジソンを庇うならお母さんが教えたらよろしい」と言ったのに対し、母親は「そうですね、もうお宅の学校にトーマスを通わせる必要なんてございません」と、小学校を中退させ、自宅でエジソンの教師役を務めることを決めました。
母親はエジソンの疑問や質問を大切にし、授業をしたり、一緒に考えたり、本を与えたりなど、エジソンが理解するまで労力をかけることをいとわず、それは好奇心旺盛なエジソンにとっても、とても納得のいくものであったようです。

 

そしてエジソンは、自分が抱いていた疑問や好奇心が科学の根本であることに母親の教育で気付いていったのでした。

少年時代のエジソンにとっては、母が ”人師” だったのではないかと思います。

そして、当時、エジソンの興味関心を聴いてくれた母の存在は、彼にとって何よりも心強かったのではないかと思います。

 

"人師"

生きる道を指し示してくれる、とても大きな存在だと感じています。

f:id:amawave:20231223195555j:image