こんばんは。
心理カウンセラーのみらいです。
今日は、ずっと認めたくなかった、女性の敵である大嫌いな自分について、書いていこうと思います。
ここからは個人的な思いを、ありのままの言葉にして書いていこうと思います。
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・嫉妬深い
・独占欲が強い
・気が強い
・男好き
・あざとい
・周りにいる全ての男性からの愛を求めている
・他の人のものが欲しくなってしまう
みなさんは、こんな女性のことを、どう思いますか。
わたしは、こんな女性のことがずっと、大っ嫌いでした。
欲望に忠実で、自由人で、わがままで、気が強くて、男好きで、あざとくて、他の人のものにまで手をだそうとする。
そんな、わたしが思う”女性らしさ”というものを全開にして生きていて、まるで”女性の敵”となるような女性のことが、大嫌いでした。
相手の中にそのような要素を感じると、自然と苦手意識を持ち、無意識に距離をとり、” この人は女性の敵だ ” と、相手に対して嫌悪感や敵対心まで抱いてしまうこともありました。
そして、この大っ嫌いだった
”男好きで、あざとくて、他の人のものにまで手をだしてしまいそうな、女性の敵である女性” とは。
それは紛れもなく、”わたし自身” のことだったのです。
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自分の中にそんな女性像があるなんて、微塵にも感じていませんでした。
むしろ、嫌っているからこそ、ずっと正反対の自分であり続けようとしていました。
・感情的な自分を蔑んでいたので、理性的に振る舞うようになりました。
・嫉妬はみじめな気持ちにさせるので、抑圧して気が付かないふりをして生きてきました。
・独占欲は依存的で相手に負けた気持ちになるので、できるだけ相手を自由に、理解ある女性として振る舞おうとしていました。
・気が強い女性は嫌われると思っていたので、できるだけ物腰柔らかな、自分の意見は主張しない、理解ある、包容力のある女性であろうとしました。
・男好きだなんて、ふしだらで遊び人で女性として良い印象を与えないと思っていたので、男好きと思われないような振る舞いをしていました。
・男性に対してあざとい女性は同性から嫌われるので、男性に対しては友人のように対等で、フラットに接することを心掛けていました。
・他の人のものを欲しがるなんて最低で、それこそまさに”女性の敵”だと思っていたからこそ、そう感じてしまう自分を抹消して生きてきました。
こうやって文字にすると、いかに自分がその要素をふんだんに持ち合わせていて、そしていかにその部分を嫌って抑圧してきたかがわかるような気がします。
だからこそ、今までは正反対の自分で生きてきたし、 ”女性の敵” となり ”女性から嫌われる自分” が嫌だったからこそ、女性の敵にならないように振る舞ってきたんだと思います。
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そんな自分を初めて指摘されたのは、根本さんの個人セッション中でした。
言われた瞬間は「えっ、いやいや・・、まさか。」とびっくりしましたが、その直後に、ものすごい安心感に包まれたのを覚えています。
やっと、自分のことを見つけてくれた人がいた。
ようやく、自分のことを分かってくれる人がいた。
と、そんな思いが心の底からわきあがってきました。
大嫌いで否定し続けてきて、自分ですら気が付いていなかった部分だったからこそ、
「本当はそんな部分があるんだと思うよ」と言われたときに、
ようやく、心の奥深くにいてずっと否定され続けてきた自分の存在が認められたような、
ようやく外に出ることが許されたような、
真っ暗闇のなかにいたそんな自分に一筋の光が差し込んだような、そんな気分がしました。
はじめて、そんな自分を外に出してもいいんだよと言ってもらえたような気がしました。
表できれいな自分を生きてきたわたしに、はじめて、その汚れた部分を表にだしていいんだよ、と言ってくれたような気がしました。
自分の気持ちが、とても軽くなって喜んでいるような感じがしました。
でも、やっぱり一人で向き合うのは難しいなとも感じました。
頭ではわかっていても、そんな自分を外にだしていくのは心では怖いし、
そんなわたしはみんなに嫌われてしまうし、
隠しておけるのであればずっと隠していたいという気持ちにもなりました。
時間が経つにつれて、
「せっかく今まで自分の汚い部分を隠して生きてきたのだから、わざわざ汚れた部分なんて、見せなくてもいいのかもしれない。」
そう思うようにもなりました。
そう思ってしまうくらい、隠してきた自分を出すことは、わたしにとってはとても怖いことでした。
みんなに嫌われてしまうのではないか、という思いも然り、
汚い自分を隠しているときにはその自分の存在を感じずに済むからこそ、表にだしてしまったら、嫌でも自分の中にはそんな自分がいるということを認めなければいけないことへの葛藤もありました。
根本さんに「そんな隠してきた自分のことをブログに書いてみなさいな」と言われてから、そんな葛藤を自分の中で感じるようになり、
お弟子の課題だのリトリートだのと色々と理由をつけては、のらりくらりと、ブログに書くことを避けている自分がいました。
でも、そんな時に参加したリトリートで、否認し続けてきた自分自身をさらけ出そうと思えた出来事がありました。
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それは、わたしがフォーカスパーソンになって、兄との競争を手放すワークをした後でした。
みんなの前に立つ機会がありました。
その場にいる、みんなの視線を一身に受けながら。わたしが否定し続け、隠し続けてきた、女性として忌み嫌ってきた部分を、皆の前で開示する機会がありました。
根本さんがわたしのことを「女性の敵だよね」と、その場にいる皆さんに紹介してくれました。
みんなうんうん、と頷きながら、わたしを見ていました。
そのとき、隠したがっていた自分がみんなに開示されているのに、
あんなにも怖がっていたみんなからの視線や頷きが全然嫌じゃないな、と感じました。
むしろ、そんなわたしがいてもいいと言われているような気持ちになりました。
そんなわたしの存在を、許してもらえたような気がしました。
「ほんとだよね、女性の敵だよね。」
「でも、それがわたしだし、そんなわたしであってもいいんだよね。」
その会場の皆さんの空気を受けて、初めて自分が自分に対してそう感じてあげることができました。
この時、実はものすごく心があたたかくなって、涙が溢れそうになったのをこらえていました。
そっか、こんな自分も自分なんだ。
どれだけ汚れていると思っていても、どれだけ忌み嫌っても、そんな自分も存在しても良かったんだ。
はじめて、否定し続けてきた自分をみんなの前に出すことを受け入れられた瞬間でした。
「この場では、そんな自分でいてもいいのかもしれない。」
そこからは、そんな気分になりながら、リトリートを過ごしていました。
そして、その後、自分ととてもよく似た思いを抱いている方のセッションがありました。
その方が怖さを乗り越え、勇気を出して、隠し続けてきた自分とつながるセッションを見た時、わたしは否定し続けてきた自分のことを、ブログに書こうと心に決めました。
わたしが自分のことをさらけ出す意味を、そのセッションを通して感じたような気がしました。
認めたくない、見たくない自分自身を認め、受け入れていくことは一人では難しいと思いますし、相当な恐怖と勇気がいると思います。
その方のセッションを見た時、わたしは自分のこの経験が同じように悩んでいる方の何かになれたらいいなと思いました。
そして、だからこそ、まずはわたしが否認し続けてきたわたし自身を認め、受け入れていくことが大切なんだと思いましたし、
そして、その姿をブログなどで発信していくことに意味があるのだと、感じました。
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ここからは後日談ですが。
リトリート後、否定し続けてきた自分を少しずつ認めながら、服装も、少しずつ変えてみることにしました。
今までなら絶対に着てこなかったような、認めたくなかった自分の女性像に似合うような服。
男好きで、あざとくて、女性らしさを存分に出しているような服。
そんな服を着ている自分なんて見たことなかったのですが、それを着たとき、どこかスッキリした気持ちの自分がいました。
とても馴染んでいて、自分らしいというか、「ああ、これこれ」というようなすごく内側から自分らしさが溢れてくるような気持ちになりました。
今までの服装もどちらかといえば女性らしさがあって好きなスタイルだったのですが、今回違う服装を着てみたら、今までの自分はどこか殻をかぶっていたような、本当の自分を隠していたような気持ちにもなりました。
そして何よりも、周りからも「そっちの方が似合うよ」とか「そっちの方がらしさが出ていて好き」と言ってもらえて、どこかご満悦ですごく嬉しかった自分がそこにはいました。
今までずっと否定し隠し続けてきた自分を認め外に出すことは、
こんなにもあたたかな気持ちにさせてくれるものなのだと、
こんなに心は満たされるものなのだと、
その感じたことのないあたたかさにじんわりと浸りながら、今は過ごしています。
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・嫉妬深い
・独占欲が強い
・気が強い
・男好き
・あざとい
・周りにいる全ての男性からの愛を求めている
・他の人のものが欲しくなってしまう
本当のわたしは、そんな女性でした。
本当のわたしは、そんな、女性から嫌われるような、女性の敵になるような女性でした。
そして、わたしは、そんな自分と共に生きていこうと思います。
否定し、隠していくのではなく、そんな自分も自分なのだと認めて、きれいな自分だけで生きることはもう無理だと降参して、受け入れて、生きていこうと思います。
そして、このブログが、同じように悩んでいる誰かの心に届いたら幸せです。
このブログが、読んでくださっている誰かの、何かひとつの指針になれば嬉しいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。