愛に生きる。

インナーチャイルド

インナーチャイルドについて、最近わかったことがある。

 

前に、恋愛でボロボロに傷ついて、仕事もうまくいかなくなり、消えてしまいたいくらい辛くなったことがある。

毎日毎日泣きじゃくり、仕事中も絶望感に飲み込まれてしまって集中できず、最低限の仕事をするのがやっと。それでミスしたりするとさらに自己嫌悪に陥り、恋愛のことも今後の人生のこともお先真っ暗でどん底に落ちた気分。その時その時を生きるのに精一杯で、心が張り裂けそうなくらいに辛さだけが溢れていて、もう消えてしまいたい、こんな人生もうやめたいと思っていた。

誰にも相談できず、1人で抱えるのは限界になったときに、藁をもすがる思いでカウンセリングを受けに行ったことがある。

 

ひとまず、その時の彼との問題を解決したかったわたしは、現状を説明して、この辛い気持ちをすぐにでもなくしたい、できるなら彼と復縁して幸せな関係を築きたい、でももう戻りたくないくらい自分の心はズタズタに傷ついて再起不能になっていてどうしたらいいのかわからないなど、その時の自分の思いの丈をつらつらと話していたと思う。

 

そのカウンセラーさんは、一通り傾聴した後、わたしの家族との関係について、昔のことも含めていろいろと聞いてきた。

 

「わたしは今の問題を解決したいのに、なんで昔の家族の話なんかするんだろう。」

「昔のことはもう自分の中では解決してるのに、なんでそんなことを聞くんだろう。」

「自分が解決したい内容から話が逸れていってる。そこを話したいわけじゃないのに。」

最初、家族の話をされたときはそんな気持ちを抱いていて、どちらかといえば不満だった。

 

でも、その後、インナーチャイルドのセラピーをやりましょうと言われてイメージワークをやったとき、父親のイメージとともに進んでいく自分の思いに涙がとめどなく溢れてきて、嗚咽するくらい号泣した。

自分でもかなりびっくりした。

自分は父親に対してこんなに怒っていたのか、今だにこんなに悲しくて辛い思いをしているのか、こんなに愛して欲しかったのか、嫌いだと思っていた父親のことが本当は好きだったんだと、いろんな感情が一気に溢れてきて、

自分が解決したと思っていた問題が、実はただ蓋をしていただけで、幼い自分の感情はずっとそのままになっていたことを初めて知った。

 

そして、インナーチャイルドセラピーを受けた翌日から、驚くような変化があった。

あんなに、毎日毎日辛いだけの感情に支配されて泣きじゃくっていたわたしが、彼とのことは確かに辛いけれど、少しその感情と距離をとれている感覚になり、どこか心が一段階落ち着いて涙を流すことがなくなったのだ。

 

自分でもその変化にびっくりして、自分が向き合うべきはここなんじゃないかと思って、その後もインナーチャイルドセラピーを継続していろんな感情を癒していった。

 

ちなみに、そのカウンセラーの先生は本当に良い先生で、どんな内容でも善悪の判断せずただ傾聴して受容してくれて、真摯に向き合ってくれて、お互いに満足するまでひたすら時間をかけてくれるような、まっすぐでやわらかい人だった。

数ヶ月に一回の頻度でカウンセリングを受けていたけど、毎回膨大な量のメモを残してくれて、わたしが忘れていたような些細なことでも覚えていてくれていた。

その先生との空間ではほっと安心してなんでも話すことができたし、その先生の前ではどんな自分でも受容してあげられるような気持ちになった。

わたしがカウンセラーを目指すときには、この先生のようになれたらいいなと思うし、自分が幸せなパートナーシップを築けたら、本当にありがとうございました。わたしも素敵な人ともっと幸せになれました。と、報告したいなと思ってる。

 

話はそれたけど、その後もインナーチャイルドセラピーをずっと受け続けてきて、ある程度過去のことは向き合ってきたなと思ったとき、あることに気がついた。

 

インナーチャイルドは、いなくならない。

 

わたしはずっと、インナーチャイルドで傷ついた自分を癒していくことで、傷ついた自分をなくすことが目標だと思っていた。

 

でも、セラピーを繰り返せば繰り返すほど、もう感情が大きく揺さぶられることも減ってきたけど、会いに行こうと思えばいつだって泣いている自分がそこにはいることに気が付いた。

 

インナーチャイルドは消えないのかもしれない。

 

そのカウンセラーさんとインナーチャイルドのセラピー後に話していて、そう思った。

 

もしかしたらこの考え方もまた変わるのかも知れないけれど、いま自分が思っていることとしたら、インナーチャイルドは会いに行こうと思えばそこにいるし、それはなくならない。

 

でも、インナーチャイルドを癒していくことで、幼い自分がそこにいたとしても、それに揺さぶられることなく、その子達がそこにいることを受け入れて前を向いて生きていくことができるようになるのかなと思った。

 

なくさなきゃ、なくさなきゃと思っていた時は、インナーチャイルドに会いにいくと泣いている自分がいて、「ああ、まだ癒しきれてない」「癒さなきゃ」と、半ば脅迫的にまだ足りない、まだ足りないと、"癒し強迫症"のようになっていた自分がいた。

 

でも、インナーチャイルドは自分の人生の一部であり、人生の軌跡。

無くすのではなく、むしろそこにいることを認めて、受け入れて、辛い感情を感じているその子を許して、愛してあげる。

そして、その自分がいたんだなという理解と共に、今の大人になった自分は、今の自分の見方で世界を見て、歩んでいくことができる。これが、インナーチャイルドを癒すと言うことの目標なのかなと思った。

 

だから、どんな嫌な感情も、どんな嫌な自分も許して受け入れてあげるというのは、インナーチャイルドがそこにいるのを許して、認めてあげて、受け入れてあげることなのかもしれない。

 

 

インナーチャイルドはきえない。

泣いて傷ついている幼い自分は確かにそこにいる。

でも、そんな自分に、

泣いていいよ、それだけ辛かったんだもん。

怒っていいよ、それだけ愛してたんだよね。

そりゃ怖いよね、逃げ出したくなるよね。

そんなふうに幼い自分の存在を理解してあげると、いつか、そういうときもあったなあ。と、思い出のように思える時がくる。

そして、だんだんその存在が気にならなくなってきて、今の自分に目を向けて生きることができるようになる。

 

そうなっていくのがインナーチャイルドを癒す過程なのかなと、最近は思う。

 

 

わたしは今でも同じパターンを繰り返しているところはある。

嫌な感情だと認識してついつい蓋をしたり見ないように回避しようとしている感情もある。

インナーチャイルドにまた会いに行ってみたいと思うけど、わたしは今まで1人で向き合う時間が長すぎて、もうこれ以上頑張れないくらいに疲れてしまった。だから、これからはカウンセラーにも頼って、二人三脚で自分のインナーチャイルドを見つけに行ってあげようと思う。

 

自分1人で頑張りすぎて、もう1人では頑張れないところまで疲れ果ててしまったのも、白旗をあげて自分を誰かに頼らせるための過程だったのかもしれない。

 

また、いつかその時のことも振り返ってみようと思う。