こんばんは、
心理カウンセラーとして勉強中のみらいです。
わたしは学生の頃、母に「あんたはほんと、自分に自信があるよね」「成功して自信があるからこそ、もっと謙虚に生きなきゃダメだよ」とよく言われていました。
でも、それを聞くたびに、「私はこんなに自分に自信がないのに、お母さんはわたしのことを全然わかってくれてない。」と感じていました。
でも、おそらく母以外でも、周りから見たらわたしは自信があるように見えていたんだと思います。だからこそ、自分に自信がなかったと言ったら、周りの人はびっくりするかもしれません。
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社会人になって、恋愛も仕事も全てがうまくいかなくなった時、自分の生き方を変えたいと思い、カウンセリングを受けにいきました。
カウンセラーさんの提案で、イメージワークで今の自分を苦しめている原因を探しに行くことになりました。
そこには、小学校低学年くらいの小さな私がいました。
小さな私の周りには、ピアノ、勉強など、今まで頑張ってきたものが、ぐるぐると取り囲んでいました。
「自分が頑張ってきたものが、囲んでいます。」
でも、そのシーンはそれ以上のものがなかったので、そこから少しずつ時間を進めて自分を成長させていくことになりました。
「何が見えますか?」
そう言われてみてみると、そこには鎧なのか、マントなのかを纏っている自分がいました。
「自分を覆っている鎧が見えます」
「鎧は、どんなことを意味していますか?」
「鎧は、自分の努力や頑張りです。自分の武器です。自分の弱い部分を隠すため、守るために、身につけてきました。自分の存在価値を保つために、身につけたものです。」
「鎧を着ているのはどんな気持ちですか?」
「きつくて、苦しい感じ。重い感じです。」
「脱ぎたいですか?」
「脱ぎたい気もするけど…。脱ぐのは、すごく怖いです…。」
ここで、鎧を脱ごうとイメージしてみたのですが、脱ぐことへの恐怖心から思わず泣いてしまいました。
続けて、こう言ったのを覚えています。
「だって、脱いでしまったら、わたしには、何の価値もなくなるじゃないですか。これがあるから今まで生きて来れたのに、これがあるから今まで評価されてきたのに。これを脱いでしまったら、自分の存在価値がなくなってしまいそうで……こわくて。脱げないです。」
イメージの中で鎧に手をかけたまま、わたしは号泣しました。
わたしはそれまで、自分は仕事が大好きなんだと思っていました。
食事している時間以外は、夜間も休日もほぼずっと仕事していましたし、学生の頃からも空き時間があるのが嫌で忙しくしていたので、ハードワークが自分の性分にあってるのだと思っていました。
でも、その時初めて、それが違うのだと気づきました。
わたしは、頑張らない自分には価値がないのだと、ずっと思っていたからこそ、頑張ることをやめられなかったんです。
でも、その考えが自分の中では当たり前すぎて、今の今まで気づいてこれなかったです。
頑張らない自分には価値がないからこそ、頑張らないという選択肢が自分にはそもそも用意されていなかったのです。
頑張らない=存在してはいけない
くらいに、その思い込みは強いものでした。
頑張らないわたしを知らないからこそ、頑張るのを手放すのが怖い。
自分の存在がなくなってしまうんじゃないかという恐怖さえわいてくる。
まわりから評価されなくなって、愛してもらえなくなって、認められなくなってしまうのではないか。
こわい、こわい、こわい。
嗚咽しながら、ただひたすら涙を流していました。
そこから、カウンセラーさんは時間をかけてわたしの恐怖心を聞いてくれました。
そして、ゆっくりと、その鎧を脱いでいくイメージを手伝ってくれて、最終的にはそのセッションの間で鎧を脱いで自分を解放するイメージまで進めることができました。
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そこからは、頑張らないを実践していきました。
頑張ることしか知らなかった自分が頑張るのをやめるのは、常に恐怖との戦いで、怖いと思いながらも、疲れたなら頑張らない。必要以上に頑張らない。自分がやりたいと思った時だけやる。と決めて、頑張らなくていい習慣を教えていってあげました。
時には、自分の成長が止まって、どんどん周りに追い抜かれていってしまうのではないかという恐怖にもぶつかりました。
でも、その度に何度も選び直して、時間をかけながら、じわじわと実践して行きました。
次第に、周りに追い抜かれていってしまっても、いいや。これからは自分のことを1番に考えて、やっていこう。と、腹をくくれるようになってきました。
そして、頑張らない。というのを意識しながらも少しずつできるようになっていったとき、
頑張ってないのにも関わらず、周りから今まで以上に評価されて、自分の仕事のスキルも上がって、認めてもらえるようになりました。
自分が前に仕事で落ちていってしまったのは、
どれだけ頑張っても、どれだけ時間を割いてやっても、結果はついてこず報われなかったからでした。
でも今は、頑張らなくても評価されている。
そんなことがあるんだと、思いました。
頑張らなければ価値がないと思っていた自分が、頑張らなくてもいいことを知った時でした。
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それからまた時間が経って、以前よりもだいぶ自己肯定感は上がってきたように思います。
働き方も考え方も、大きく変わりました。
あの辛い出来事があったからこそ、自分が怖くて踏み出せなかった一歩を頑張って踏み出すことができたし、自分の思い込みから解放することができたのだと思います。
でも、今でも、今いる環境から新しい環境に行こうとする時、何か自分よりも上だと思う存在に出会った時、不安や恐怖で自分の歩みを止めたくなったり、自分には能力がないから、と思ってしまうことがあります。
周りから評価してもらえた言葉も、受け取っているようで受け流してしまったり、ちゃんと受け取れてはいないことにも気がつきました。
自分自身も、心のどこかで、自分の価値はもっとこんなもんじゃないぞ!と思っているのですが、それをどこかでブレーキをかけているような、抑圧しているような、そんな気分です。
最近、自分の中のイメージとして、
本当の自分はもっと自由に、のびのびと、イキイキと、輝いて、楽しんで、仕事も恋愛もするような、そんな姿を持っているんじゃないかなと思うようになりましたし、そんな女性になれたら素敵だなと思っています。
そのための一歩として、自分の価値をちゃんと認めてあげようと思います。
まずは相手から言ってもらえた評価をちゃんと受け止めることから初めて、無理せず、じわじわと、自分の変化を楽しみに実践していきます。