愛に生きる。

女性である自分

自分がどう生きたいかについて、最近わかったことがある。

 

出世したいわけでも、地位や名声がほしいわけでもない。お金をたくさん稼ぎたいわけでもない。

 

好きなことを心のままにただやって、その時その時をただ、「たのしい!」と思って生きていたいだけ。

そして、実体験として、その状態になれている時の自分は頑張らなくても結果的に評価されたり周りに人が集まったり、自然と色々と与えてもらえる状況になって、自分が何もしなくても自然に物事が良い方向に進んでいく。

 

だからわたしは、自分のやりたいことを自由にやって、ただただ人生を楽しんでいたい。日本のどこだって、世界のどこでだって良い。仕事の形も、どんな形だって良い。自分が楽しんで過ごせる人生であれば、そこにこうでなきゃいけないという形はない。

 

今、ずっとやりたいと思っていた心理学の勉強を本業傍にできているのもそう。お弟子になって勉強すると決めてから、ずっとやりたかったことができている楽しさも、自分の人生をより豊かにしてくれている感じがする。

 

今までの自分は、周りや世間的に望ましい道を選んできた。でも、自分の人生は、もっと自由で、のびのびとイキイキとしていいものなんじゃないかと思うようになった。

限界なんてないし、制限なんてないし、固定観念なんてそこにはいらない。

それが自分のライフワークの1つの形だと思った。

 

そして、その中に、自分が女性であることについても考えるようになった。

 

わたしは、たぶん、自分の中の女性らしさを嫌っていた部分がある。だからこそ、そういった面を抑圧してきたんじゃないかなと思うようになった。

自分が女性であることを、心から喜び、楽しみ、思いっきり表出したことはあっただろうか。

女性らしい感情をめんどくさいと思ったり、自分の女性らしさをどちらかといえば武器として利用していただけだったし、女性を社会的にも立場的に弱いものと見られるのも、そう思わせるのも嫌だったし、小さい頃は自分の中で女の子らしいピンクとか服装は好きじゃなかった。周りの女性らしさを出していた友達とは仲良くなれなかったし、自分が男で生まれたらよかったのになと思うこともあった。

おそらく、わたしの周りがそう思ってることを聞いたらかなりびっくりするだろうけど。

 

気づかなかったけれど、自分は自分が女性であることをどこか嫌って、抑圧してきたんだと思うし、どこか自分の中でも、男性の方が強くて上で、女性の方が弱くて下というイメージを持ってしまってるんだと思う。だからずっと、男性を羨ましいなと思っていたんだと思う。

 

でも、本当は、自分が女性であることを思いっきり、自由にイキイキと楽しみたいし、女性として輝きたいと思ってる。

 

自分の女性性やセクシャリティの解放も、じわじわしていきたいなと思っている。