愛に生きる。

自分の才能

ここ最近、いろんなカウンセラーさんからよく聞く考え方

 

自分が魅力だと思っているところだけではなく、実は自分が忌み嫌っている部分や自分が欲しくても手に入っていないものに、実は自分の才能があるということ

 

これを聞いた瞬間、すごくビビっときた

 

特に、自分が欲してるのにずっと手に入らないものは、もうすでに自分が才能として持っているものだから、むしろそれをあるものとして周りに与えていくことができる。という言葉。

 

わたしが欲してても手に入っていないもの

・誰よりも愛して大切にしてくれる相手

・心からの安心感と信頼ができる相手

・もう戦わなくて良いんだとほっと安心できる居場所

・どんなわたしでも認めて受け入れてくれる相手

・思う存分甘えられる相手

 

逆に言えば、わたしには

・相手を深く愛することができる才能

・相手に心からの安心感と信頼を与えられる才能

・相手が頑張らずに力を抜いてほっと安らげる場所

・相手のどんなところでも認めて受け入れてあげられる才能

・思う存分甘えさせてあげられる才能

 

カウンセラーさんから教えてもらったのは、それらを既に自分が持っているという視点だった。

 

そう言われると思い当たる節はいくつかあって、わたしはもともと愛が大きくて相手を愛したい気持ちが強い人だった

 

でも、自分の愛は相手1人に投げかけるには大きすぎて溢れてしまう感覚が昔からあって、ずっと相手の愛と比べながら、ほどよい量になるように愛の出し惜しみをするくらいだった

 

でも、この人と決めたらその人と向き合って関係を育んでいきたい人だったし、今までパートナーとなった人からは上の才能にあげたようなことを言われることも多かった。

 

自分が欲しかったものがすでに自分が持ってる才能だったとしたら。

カウンセラーの先生からは、それを相手1人ではなく、周りの人に与えていくことを意識すると良いと言われた。

自分の才能をしっかり認めて、あるものとしてまわりと接していく。そして、相手から愛やお金などのお返しをもらうことを、対価としてしっかり認識して受け取る。

 

そうすることで、自分の才能が開花し、相手からの愛も受け取れるようになるという。

 

そして、ネガティブな感情の背景にある深い愛を知っていく。

このプロセスも大事だと教わった。

感情にはすべて深い愛情が背景にある。

だからこそ、ネガティブな感情を抱くことを忌み嫌うのでなく、理解して、感じることを許してあげること、それをやっていく。

 

なにかネガティブな感情を抱いた時は、昔の自分が深い愛ゆえに諦めたこと、禁止したこと、抑圧したものがある。

それを刺激する事柄がおこると、再放送として幼い自分の感情が再び沸き起こり、それを大人の自分が嫌なもの、ダメなものとして判断してしまう。

 

だからそれを、第三者の自分が少し離れた位置からみて、その感情の裏にある愛情をみつけてあげる。そして、幼い自分がその感情を感じるのを許してあげることが大切。

 

許してあげたあと、その感情はかんじるままとして、そこから一歩、そのパターンを変えていくためにはどうすれば良いんだろう。

そこからは自分の心で感じるがままに考えてみた。

 

そこででてきたのが、上で書いた「自分の才能」だった。

 

幼い自分のことを、大人の自分の才能を生かして愛してあげれば良いんじゃないか。

 

そうすれば、ずっと自分が欲していたものを、自分が幼い自分に与えてあげることができるんじゃないか。

 

ずっと欲しかった、自分にだけの深い愛情、安心感、信頼、戦わなくて良い居場所、うんと甘えられる存在。

それを、ずっと他の人に求めていたけれど、大人の自分が才能としてもっているのであれば、自分が自分に与えてあげれば良いんじゃないか。

 

もしかしたら、これが、心理学などでよくいう自分を愛すること、自分を癒すことなのかもしれない。

 

まだまだ実践途中だけど、そういうふうにやって行ってみようと思う。

自分の経験を通して、それが自分との深い愛に繋がるのであれば、この経験はきっと誰かの役にも立つだろう。

 

そして、もう一つの自分の中での変えたいパターン。

「男とは〇〇するもの」という固定観念

これが、自分の目指す幸せなパートナーシップから道が逸れてしまう理由だと思うから、そこもじわじわと変えていこうと思う。

 

そして、抑圧してしまっている女性像を解放して、自分が女性であることを心から喜び、体現し、生き生きと生きられるようになりたい。

 

誰かに頼ることで、自分だけじゃ見えなかったものが色々見えた気がした。

これからは、お金や時間との相談にもなるけど笑、誰かに頼りながら、愛を学ぶ道を深めていこうと思う。