愛に生きる。

箱の中のカブトムシ

最近、ハッと気付かされた言葉がある。

 

「箱の中のカブトムシ」

 

まさにその通りだと思った。

 

今まで相談された時は、そのアドバイスにどこか一方的で押し付けがましさがでてしまっているなと感じていたし、良かれと思って勧めたのになんで相手はそれを受け取ってくれないんだろうとか、なんでこの良さをわかってくれないんだろうというズレに対する違和感を自分でも感じていた。

 

でも、わたしは自分の箱の中にいる「カブトムシ」が相手の箱の中の「カブトムシ」と同じだと思い込んでいただけだったのだ。

 

わたしは、自分の中の「カブトムシ」の話をしていただけで、それが他の人の「カブトムシ」と同じなのかどうか、もしかしたら他の人にとってわたしのそれは「カブトムシ」ではない可能性もあることを、わかっていなかったんだと思う。

 

 

人には人の数だけ人生のストーリーがあって、

そのストーリーはその本人にしか歩めない。

似たようなものがいくつもあったとしても、本質的には全く違うものなのだろう。

 

そしてそのストーリーは他の誰も見れないし、真に理解できるものではないのだろう。

 

でも、みんな、それぞれの人生のストーリーを精一杯生きている。

誰よりも自分のことに1番時間を割いて考えて生きている。

 

みんな、それがどんな道であれ、その時にbestだと思う道を選び続けている。

それが楽しいことであれ、苦しいことであれ。

 

そう思うと、相手の人生にリスペクトが生まれるようになった。

 

自分には自分の人生があって、

相手には相手の人生がある。

 

それぞれが幸せになるためにそれぞれの人生を生きている。 

 

それだけで、尊いものだと感じた。

 

でも、人生を歩んでいく中で、苦しくなったり辛くなったり、藁をもすがる思いで誰かに頼りたくなったり、助けて欲しくなったりする場面はあると思う。

 

そんなときに、自分という存在が、ここなら大丈夫だと肩の力を抜いてほっと一息安らげる場であれば良いなと思うし、そしてそこからまた自分の人生を歩んで行こうと思えるような、そういう存在になれたらいいなと思う。

 

少しずつ、気づきやこうなれたらいいなという気持ちを、思いついた時に書き留めていこうと思う。