昔この文字を見たときは、なにも感じなかった。
他人事のような感じで、そんな人もいるんだなあと。自分とは無縁の言葉だと、心のどこかで思っていた。
でも、自分と向き合って気づいていなかった弱さや怖さに気づいて行った時、「親密感のおそれ」が他人事ではなくなった。
むしろ、わたしは親密感のおそれがとても強く、誰かと親密になるのを避けようとしていたのだと思った。
小さい頃から父親の女性関係でずっと辛く苦しい思いをしてきて、
気がついたら男性の浮気や裏切られることへの恐怖が強くなっていて、男性を信じることへの恐怖心が根付いていた。
この人を信じて裏切られたらどうしよう。
この人を本気で愛して、結局浮気されたらどうしよう。
そんな恐怖心が、相手と深い関係になろうとしたり、相手と心から好きになろうとしたときに、いつも顔を出して囁いてくる。
その度に、その恐怖に飲み込まれて、
相手のことを心から信頼したり、
相手のことを心から愛するのをやめてしまう。
そして、どこか心を閉ざして、全てを明け渡さず、いつでもこちらから切れるように、いつもどこか戦闘モードで完全には安心しきれずにいた。
相手に裏切られるくらいなら、その前に自分から切り捨てる。
これをモットーにするくらい、もうこれ以上自分が傷つかないようにするのに必死だった。
また、本当に好きになればなるほど、嫉妬や不安が顔を出してきて、それを感じてしまうと最終的には裏切られることへの不安や浮気されることへの恐怖が顔を出してしまうから、
好きな気持ちが強くなって嫉妬心がでてくると、ものすごく嫌な気持ちになってそうならないように自分の気持ちに蓋をするのが通常になってしまっていた。
どうせ〇〇なんだろう
どうせ〇〇するんだろう
そう思って距離をとっていたほうが、自分の方が状況をコントロールできているようで、気持ちが楽になるような気もしていた。
でも、わたしの小さい頃からの夢は、
お互いを心から信頼して愛し合えるパートナーシップを築いて、いつも帰りたくなるようなあたたかくて幸せな家庭をもつことだった。
自分の夢と、自分の行動とが正反対で、
そのギャップにより苦しくなってしまっていた。
誰かを心から愛したい
誰かを心から信じたい
そんな関係を、誰かと築きたい
ずっとずっと、思い求めてきた気持ちだった。
もう、相手を疑って生きるのはいや。
もう、相手を心から愛せずにいるのはいや。
もうそろそろ、相手を思う存分愛したい。
もうそろそろ、相手を心から信じたい。
心から愛する喜びを感じたい。
そろそろ、一歩を踏み出す時なのかもしれないし、踏み出して、新しい世界を見てみたい。
ここに思いをこぼしながら、自分の時間を通して、向き合っていきます。