愛に生きる。

3分で読める物語①

友が死んだ。

 

あの時、やっぱり会っておけばよかったかなとも思う。

涙って意外に出ないんだなとも思う。

心がそこまで動いていない自分も実感する。

 

ああ、やっぱり、自分って心がない人間なんだ、と再認識する。

 

そんな自分が嫌になるような、

でも今は何も考えられないような、

そんな足元が浮ついたような感覚で、目的地までの道のりを歩いていた。

 

彼女と出会ったのは中学3年生の頃。

 

共通の趣味があって、気がついたら話すようになっていた。

二人っきりで会うことはなかったけれど、同じ趣味を持つ友人4人とよく遊ぶようになっていた。

 

たった1年だけだったけれど、そこから違う高校に行っても、たまに連絡をとっては皆で会う仲だった。

大学に進学してからは、皆バラバラの地域で就職したり進学したりして、以前よりもグンと連絡を取る頻度は落ちていった。

 

そんな時だった。

久しぶりに彼女から連絡がきたと思ったら、

 

「わたし、病気なの。」

 

そう言った。

 

なんでも、完治することのない難病にかかったというのだった。

 

大学に進学してから、急に症状が出現して、この間まで入院していたのだという。

きっと、一人で病気であることを抱えて、闘って、受け入れた後に、告白してきたのだろう。

 

「今は、お薬でおさえられているから、大丈夫だよ。」

 

そう明るく言う彼女だったが、言葉のニュアンスから、大丈夫じゃないことも、落ち込んでいることも、長らく会ってはいなかったけれど、手に取るように分かった。

 

でも、当時の自分には、彼女になんて声をかけてあげたらいいのか分からなかったし、彼女の明るい声色に合わせながら、病気についてネットで調べて話をするのに必死だった。

 

 

そこから何度か連絡はとったが、遠方だったため、結局一度も会えずにいた。

 

 

そんなある日、彼女からまた連絡があった。

 

「今ね、また入院しているの。」

 

持病が悪化して、地元に帰ってきて治療を行っているのだという。

 

「肺にね、水がたまったらしい。」

「腎臓にもね、悪いところがあるんだって。」

 

何通か綴られる文章に、何も返答がでてこない。

 

”大丈夫?”だなんて、大丈夫なわけないのに、送れるわけがない。

もう十分頑張っている人に、”頑張って”なんて、言えるわけがない。

”辛いよね”なんて、何も知らないくせに、どの口が言うんだ。

 

言葉にできない思いは確かにここにあるのに、

言葉にするとどれも安っぽくて、

自分が思う本心を正しく表現する言葉が見つからなくて、

結局何も言えなかった。

 

結局、何も言えないと思って、近くにいたのに、お見舞いにもいかなかった。

 

「どうしてお見舞いに来てくれなかったの!?」

 

後日、退院した彼女から、怒りの連絡がきた。

相当、怒っているようだった。

 

”そりゃ、そうだよな。”

 

彼女の気持ちは痛いほどわかった。

薄情者だとも思われても仕方ないし、自分でもそう思った。

なにも、言い返す言葉なんてなかった。

 

「ごめんって。

 退院できて、よかったね。」

 

軽い調子で返す文面とは裏腹に、自分の中ではなぜか虚しさに襲われた。

 

自分ってなんて薄情なんだろう、

という気持ちと同時に、

どうしたらいいのかわからない気持ちもでてきて、

もうその場から離れたい気持ちになった。

 

その後、彼女はまた一人暮らし先に戻って、元気に暮らしているようだった。

 

そこから更に連絡の頻度は減り、何年も音沙汰がなかった。

 

お互いに、今どこにいるのかも、何をしているのかもわからなくなった。

思い出すこともなくなったけど、きっと、どこかで元気にしているのだろうと、心のどこかでは思っていた。

 

ある日の仕事中に、中学時代に仲良くしていた友人から久しぶりに連絡があった。

 

一瞬、時が止まったように思えた。

 

 

あの子が、亡くなった。

 

 

信じられないような、どこか現実味がないような気持になった。

涙がでてこないのは、やっぱり自分が薄情なのか、なんなのか、わからなかった。

でも、何年も会ってはいなかったけれど、お別れを言いに行かなければいけない。という気持ちには駆られた。

 

道中で、足元が浮ついた感覚になりながら、色々なことを思い返していた。

 

やっぱり、お見舞いにいくべきだったのかもしれない。

あの時、会っておくべきだったのかもしれない。

でも、また同じ時に戻ったとしても、果たして自分は行くのだろうか。

未だに涙さえ出ない自分は、やっぱり薄情者なのかもしれない。

また、怒られてしまうな。

 

いろんな思いが頭の中を駆け巡り、正常な思考ができていないように感じた。

 

でも、彼女に最後にかける言葉は、自分の罪悪感を晴らすためでも、体裁を保つためでもなく、彼女のことだけを想って伝えようと思った。

 

”なんて、言葉をかけてあげよう。”

 

そう思って彼女との時間を振り返ろうとした瞬間、

突然色々な思いが溢れてきて、涙が溢れて止まらなくなった。

 

嗚咽と共に、罪悪感も、自己嫌悪も、寂しさも、堰き止めていたものが全て溢れてきたように感じた。

 

 

ごめんね。

やっぱり、罪悪感も、自己嫌悪も、寂しさも、自分の中には沢山あったみたい。

隠そうと思っても、無かったことにしようと思っても、無理だった。

 

今までずっと、そんな自分を隠してあなたと向き合っていたんだ。 

 

でも、最後だけは、そんな感情もかかえた「自分自身」で、あなたと会いたい。

 

 

ようやく、あなたに会える決心がついた。

 

遅くなってごめんね。

 

いま、会いに行くよ。

 

 

こんばんは。

心理カウンセラーのみらいです。

 

今回はいつもと順番が逆で、急に文章が始まったのでビックリされた方もいたかもしれません。

ひとつの短い物語を書いてみました。

 

この物語には、正解はありません。

この物語を読む人によって感じ方は様々だと思いますし、そこに、その方の心理というものが反映されるのだと感じています。

 

わたしは本を沢山読むわけでも、言葉に強いわけでもないので、ちゃんとした文章を書けるわけではないのですが、だからこそ、読者様も楽な気持ちで読んでいただければと思います。

 

普段とは違って、少なめの文量になっておりますので、

是非、日常の”隙間”で読んでいただければと思います。

 

最近は本調子とは言えず、なかなかブログを書くことができずにいましたが、”物語”を通してであれば、そのときお伝えしたいことやうまく叙述できないものを表現することができるなと感じたので、これからも”小休憩”という感じで、書いていこうと思います。

 

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

・8月の個人カウンセリング 初回モニターセッション

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