愛に生きる。

「好き」という感情が教えてくれること

こんばんは。

心理カウンセラーのみらいです。

 

現在、8月の初回モニター様を募集中です!(残3席)

amawave.hatenablog.com

 

汗も噴き出るほどの暑さが続きますが、そんな時こそ、ずっと心の中にあったモヤモヤや、誰にも相談できなかったことをお話してみませんか。

きっと、今までと少しだけ見え方が違った夏になるのではないかと感じています。

 

また、土日限定ではありますが、大阪での対面セッションを開始しました。

実際に会って話してみたい!という方は是非、ご検討ください。

(東京は9月以降で募集を開始する予定です。)

 

また、ブログやXなどで使用するプロフィール画像を変更しました。

今後はこのアイコンで活動していく予定ですので、読者の皆様にとって親しみのあるものになれば良いなあと感じております。

 

今日は、いつか書こうと思っていて、ずっと書けていなかった、

「好き」という感情が教えてくれることについて、お話しようと思います。

 

だれかを「好き」になるということ。

 

恋人、家族、友人、知人、職場の仲間など。

「好き」という感情をひとつとっても、そこには様々な在り方があり、

その対象によって、異なる想いが込められています。

 

そういった、だれかを「好き」になる気持ち自体は、

心から自分を満たしてくれるものであり、とてもあたたかく、とてもエネルギッシュなものだと感じています。

そして、時には不可能を可能にしてしまうような、困難を苦とも感じさせないような真の力強さを生み出してくれるものでもあると思います。

 

そんな計り知れない力を持つ「好き」という感情ですが、

自分にとって心地よいものであれば問題ないのですが、

人によっては、同じくらいの強さもった”苦しみを生む感情”になることもあります。

 

みなさんは、「ノートルダムの鐘」をご存じでしょうか。

 

最高裁判事であるフロローは、長年ジプシーを忌み嫌い、迫害し続けていました。

フロローにとって、ジプシーは悪であり、存在自体が罪だったのです。

 

そんなある日、フロローがあるジプシーの女性に恋をしてしまいました。

 

ジプシーを悪だと思い、迫害し続けていた彼にとっては、

とても悩ましい、許されざる恋でした。

 

フロローの彼女への想いが溢れるシーンがあるのですが、

そのシーンを見るといつも、この「好き」という感情が、

”思考ではどうすることもできない感情”であり、

”自分を苦しめる感情でもある”ということを、

とてもよく表現しているなあと、感じています。

 

フロローは偏った正義感を持つ冷徹な悪人として描かれているので、

彼自身に共感できる方は少ないように思いますが、

 

でも、彼が抱いた恋心が、

「理屈では説明できない感情」であり、

「思考ではコントロールすることができないくらい、自分を大きく揺るがすもの」

というところについては、わからなくもないなあと感じる方は、きっと、いらっしゃるのではないでしょうか。

 

誰かを「好き」という気持ちが、自分の苦しみに変わってしまうことがあります。

そして、それが大きくなりすぎると、相手を傷つけてしまうことだってあります。

 

本来であれば心から満たしてくれるはずの「好き」という感情が

そんなにも自分を苦しめる存在になってしまうのは、どうしてなのでしょうか。

 

それは、フロローが教えてくれるところの、

「相手は自分が望んだ通りにはならない」

というところに、集約されるのではないかと感じています。

(実際に、彼は彼女に対して”自分のものになるよう”命じます。そうすれば、命は助けてやると。しかし、彼女はフロローの望む通りにはならず、それがさらに彼を苦しめ、彼をより激情化させていくのでした。)

 

 

「好き」という感情を抱くと、それが強ければ強いほど、

「相手に自分の望む通りになって欲しい」という願望が湧いてくることがあります。

 

自分だけのものになって欲しい

自分だけを見ていて欲しい

自分が望むように愛してほしい

自分が満たされるようにして欲しい

不安にさせないで欲しい

寂しい想いをさせないで欲しい

ずっと側にいて欲しい

 

それらの願望・欲求は、普段は自分の中に静かに眠っていて、その存在に気付くことも、意識することもありません。

 

なぜならば、それらを感じることは自分にとって、

みじめで、

幼稚で、

依存的で、

みっともなくて、

相手に負けた感じがする。

そんな、敗北感や劣等感を感じさせるものだからです。

 

でも、そういった見たくもなかったものを、

「ほら、実は、あなたの中にはこんなにも強いニーズがあるんだよ。」

と、あぶりだしてくるのが「好き」という感情なのかもしれませんし、

 

だからこそ、結果的に「好き」という感情が、

自分にとって、苦しく、辛く、しんどいものになってしまっているのかもしれません。

 

そして、この願望・欲求の裏側にあるのは、

「依存心」なのだと思います。

 

「好き」という感情があぶり出すものとは、

実はずっと自分の中にあった、「依存心」なのかもしれません。

 

 

「好き」という感情が掘り起こすものは、その人の中にずっとあった強い「依存心」でした。

 

そして、この強い「依存心」とは、

過去に自分の純粋な願望や欲求が叶えられなかったり、満たされなかったりして、そのせいで自分が「傷ついてきた」ことで、生まれたものでもあるように感じています。

 

だからこそ、その「依存心」を感じるということは、とても辛く、苦しいのです。

どうせ満たされないことなんて、もう分かっている。

どうせ叶わないことなんて、もう知っている。

そして、自分が隠していた心の傷が疼き、またその傷を感じて過ごさなければならない。

 

「好き」という気持ちを感じると辛くなってしまうのは、

この、満たされず、叶わず、傷ついてきた「依存心」というものが、

凝りもせずまた顔をだしてくるからなのだと思います。

 

 

だからこそ、人は工夫をします。

依存心を感じなくていいように、相手を自分の支配下に置き、コントロールしようとします。

依存心を感じなくていいように、「依存心を感じなくて良い相手」を探します。

その場合は、あえて本命ではない相手を選ぶことだってあります。

そして、相手のことを「好き」という気持ちを、そもそもなかったことにしようとすることだってあります。

でも、そこにはどこか無理が生じてくるからこそ、相手の仇を見つけたり、相手を嫌うことでその気持ちを無くそうとします。

だから、本当は好きなのに、気が付いたら悪口ばかり言っている、なぜか攻撃的な態度になってしまう、本当は気になるのに、無視している状態になってしまう、という、矛盾した状態がうまれてしまうのだと思います。

 

でもこれは、「依存心を感じなくて済むように」行動しているだけで、依存心自体はそこに在り続けます。

そして、何かをきっかけに、忘れた頃にまた依存心というものが顔を出してきて、以前感じていた苦しい感情を追体験する、ということが起こり得るのです。

 

きっと、この苦しいほどの「依存心」というものは、無くそうと思っても無くならないし、消そうと思っても消えないものなんだと思います。

 

そんな自分の中に在り続ける「依存心」を、どうしたら良いのでしょうか。

 

ここで勘の鋭い読者様は、どうせ「依存心を認め、受け入れましょう」とか言うのだろう。と感じているかもしれませんが、大正解です。

 

大正解ではあるのですが、今日は少しだけ視点を変えて、お話していこうと思います。

 

 

依存心自体は、悪いものではないと思っています。

自分が感じても苦ではないし、相手にも快く受け入れてもらえると感じられる依存心も存在すると思います。

(「甘え上手」「なんか構ってあげたくなる」といった言葉で表されるものかもしれません。)

これは「純粋な欲求」であり、自分が傷つかない「依存心」なのだと思います。

 

ですが、自分の中で問題となりやすいのは「傷ついた依存心」だと感じています。

 

「傷ついた」依存心とは、

自分がもともと持っていた純粋な欲求が叶えられなかっただけでなく、

そのことで深く傷ついた経験があり、

それをもう二度と経験しなくて済むように、

自分のもつ欲求を相手に要求する力が何倍にも膨れ上がった思いだと感じています。

(この依存心は、相手に期待したり、どうにかして欲しいという気持ちが強いという、その人が持つマインドの話になるので、相手に直接伝えるどうかは問いません。)

 

あなたの中にある「傷ついた依存心」とは、どのようなものでしょうか。

「傷ついた依存心」と聞いたとき、その裏側にはどんな思いがあると思いますか。

少し、想像してみてください。

 

 

どうせ、誰も愛してくれない。

どうせ、自分だけのものにはなってくれない。

どうせ、自分だけを愛してなんてくれない。

どうせ、一緒になんて、いられない。

どうせ、最終的にはいなくなってしまう。

どうせ、寂しい思いをさせる。

どうせ、裏切られる。

どうせ、自分が満たされることなんて、ない。

どうせ、わたしは独りぼっち。

 

そこには、そんな思いがあるでしょうか。

自分が感じた思いを、是非、言葉にして書き出してみてください。

 

あなたはずっと、そんな思いを抱え続けてきたのだと思います。

叶えられなかった欲求は過去のものかもしれませんが、

傷つき続けているのは今であり、

その想いは決して、過去のものではありません。

 

これ以上傷つきたくなくて生まれたのが「傷ついた依存心」だからこそ、

先ほどあげた「純粋な欲求」とは違い、この依存心は強靭で、自分の手に負えないくらいの大きさを持っているのだと思います。

 

そして、この「傷ついた依存心」と共にあるのは、

”自分の欲求が叶えてもらえなかった”という「渇望感」であり、

そして、今もなお、叶えてもらっていないという「枯渇感」なのだと思います。

そして、その状態は「飢餓」の状態と同じような気がしています。

 

自分の欲求が、ニーズが叶えられる時を、ずっと、待ち望んでいるのです。

この欲求が満たされることを、本当は、心から望んでいるのです。

 

だからこそ、この欲求を満たしてくれそうな人や満たして欲しい人が現れると、

急に自分が「飢え」ていたことを思い出して、この依存心というものが発動し、

自分でも止められないし手に負えないくらいの強さで相手への依存心が出てきてしまうのだと思います。

 

そして、ニーズを満たして欲しいという依存心を強く感じていながらも、心のどこかではそれが叶わなかったこともわかっているからこそ、どうせ自分の願いは叶えられないという絶望感と、それで味わった心の傷を思い出して、相手を「好き」になったことをきっかけに、一気に何重もの苦しさになってしまうのかもしれません。

 

そんなふうに、

今もなお、あなたの中に「傷ついた依存心」が存在し続けるのは、

今もなお、自分の中にある欲求が満たされず、

それによって、今もなお、「傷つき続けている」からなのかもしれません。

 

だからこそ、今向き合うべきは、

この依存心をなくそうとすることではなく、

「ずっと満たしてほしかった欲求」の方なのだと思います。

 

”本当は、ずっと、自分だけを見ていて欲しかった。”

”本当は、ずっと、自分だけを愛して欲しかった。”

”本当は、ずっと、どこにもいかないで欲しかった。”

”本当は、ずっと、側にいて欲しかった。”

 

あなたの中にある、ずっと満たして欲しかった「欲求」とは、どんなものなのでしょうか。

 

きっとそれは、「純粋な欲求」だったのだと、感じています。

きっとそれは、自分が傷つくものでも、相手に苦しい思いをさせるものでもないのだと思います。

きっとそれは、自分も満たされて、相手も幸せを感じられるものなのではないかと、感じています。

 

 

そして、今できることとしては、その自分が満たして欲しかった欲求を、実際に、満たしてあげましょう。

どうやって?

それは、自分が自分に対して与えてあげることです。

 

自分を投影するぬいぐるみでも、大切なペットでも、心を配りたい相手でも構いません。

その対象を通して、あの時の傷ついた自分を思い浮かべてみてください。

そして、その自分が抱いている「満たして欲しかった欲求」を、感じてみてください。

 

どんな表情をしていますか。

どんな気持ちで、そこにいるのでしょうか。

 

その欲求を受け取りながら、こう感じてみてください。

「あなたが求めていたものは、あなたも満たされて、欲しかった相手の人も満たされる、そんなものだったんだよ。決して、あなたが苦しくなるためでも、他の人を苦しくさせるものでもなかったんだよ。」

 

そして、その満たして欲しかった欲求を満たしてあげるかのように、接してみてください。

ずっと欲しいと思っていた、愛情を、関心を、視線を、つながりを、与えてあげてください。

 

それは、どんな方法でも構いません。

意識の世界のお話なので、実際に何かをやってあげたりしなくても、「その意識で接する」だけでも十分です。

自分が満たされたかった分だけ、それ以上でも、それ以下でもなく、欲しかった大きさと形で、与えてあげてください。

 

どんなことをしてあげたいですか。

どんな言葉をかけてあげたいですか。

 

相手からの反応や、相手からのお返しは何も考えず、ただひたすら、自分が欲しかったものそのものを、意識して与えていってあげましょう。

(そういった意味では、相手の意思を介さないぬいぐるみなどがベストかもしれません。もしくは、対象をおかなくても、瞑想といった形でも構いません。)

 

どんな気持ちがしますか。

どんな気分になりましたか。

どんなことを思い浮かべるでしょうか。

 

これを、できる時に、できるタイミングで、続けてみてください。

もしかしたら、なにかきっと、今までと違って感じるものがあるかもしれません。

 

今回の内容は、自分の中でも言葉にしにくいところがあり、上手くお伝えできていないところもあるかもしれません。

でも、いつかまた、この感情については記事を書きたいなと思っていますし、その時にはもっと掘り下げて、深くお伝えできるものがあればいいなと思っています。

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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